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何でもハラスメントな今の時代

昨今よく「〜ハラスメント」という言葉をテレビや会社や社会のなかで聞くことがよくある。一昔前は小学校や中学校の親が子供の先生たちに過剰なまでの過干渉を行ったりする「モンスターペアレント」という言葉が流行っていたが、今はそれをはるかに上回る「ハラスメント社会」になっている。

例えば「カスタマーハラスメント」といって、客が店に対して少しのクレームを言っただけでもそう言われてしまって、裁判でも起こされかねない時代になった。その他「モラハラ」「パワハラ」「セクハラ」、ついには「。(丸)ハラスメント」といって、若者は年上の人や上司から送られてくるメールや文章の語尾に「。」がついているだけで「恐い」というのだ。文章や文書特に、ビジネス文書ではきちんと「。」で終わらなければいけないシーンや場面はたくさんあるし、著名人の出している本を読書しても必ず区切るところには「。」がついているものだ。それなのに「。」をつけただけでこわいというのだ。

果たしてその子たちは学校できちんと国語を学んできたのであろうか、もしくはそのことについて国語の先生たちはちゃんと教えてきたのであろうかと疑問に思うわけである。他のハラスメントについても、何でもハラスメントと言われてしまうことに萎縮してしまって、言いたいことも言えない人々が急激に増加しているのではないだろうかと考える。

たしかに、配偶者に対して言葉の暴力や態度で「モラハラ」といわれることも、上司が部下に対して身体を触るなどの「セクハラ」などは決してよくないことだが、例えば会社で上司が部下に対して適切な指示をしたり、指導(行き過ぎた指導は除く)をすることもできなくなっては、会社の成長はもちろんのこと、指示されたその部下本人の成長も見込めない。パワハラ、パワハラと叫んでいる人たちはこれに気づいているだろうか?気づいていないとしたら、こうなっては日本も終わりだと思うのは私だけだろうか。

親には子供を育てる責任があり、もちろん暴力や暴言はあってはならないことだが、然るべきときには叱ったり、指導を行う役割を担っている。それを忘れて甘やかしてばかりでは、日本の将来は危ういと私は考える。多様性の時代だということは私も存じている。しかし産まれてから自立した大人になるまでに親は子供に誤った認識を与え続けてはいけないと強く思う今日この頃である。
#創作大賞2024
#エッセイ部門
#ハラスメント

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