元気な笑顔にまた会える日まで
2020年2月、私はイタリアを旅していた。
ヴェネツィア、フィレンツェ、アレッツォ、オルヴィエート、ローマ、など色々な街を訪れるプランだった。
着いた頃は疫病のニュースでもちきりではあったものの、国内での感染はなく、街中に深刻さは感じられなかった。
私も、警戒はしつつも久しぶりのイタリアを満喫していた。旅の前半はヴェネツィアのカーニバルへ。行き交う人は皆、仮装してもしなくても、思い思いに楽しんでいた。
買い物や食事をした店でもニコニコと「カーニバルを楽しんでね!」と声をかけられ、暮らしている人もこのお祭りを愛しているのだろうと思った。
朝の光の中で見るとおとぎ話の中に迷い込んだみたい。
夜は賑やかで華やか、それでいて妖しい魔法がかかっているよう。
そんな夢のような数日を過ごし、次の街へ向けてヴェネツィアを出発した。まさかその次の日にカーニバルが打ち切られるとは思いもしないで。
次の宿泊地で状況が変わりつつあることを知り、私は迷った。旅を続けるか否か。
結局、慌てて無理に旅程を変えるよりも、自衛をしつつ、様子を見ながら旅を続けることに決めた。自衛といってもできることと言えば当時も今も変わらず、手洗いや消毒、うがい、人混みはできるだけ避ける、ということくらいだ。
(唯一違うのはマスクの有無くらいか)
こまめに手を消毒したいのだが、アルコールジェルは日本で手に入らず、除菌シートは1セットしか持ってこられなかった。どこかで見つけたら買い足せるよう、街歩きをしつつも薬局の場所はチェックするようにしていた。
ある日、郊外の街へ列車とバスを乗り継いで日帰りで出かけた。
乗り換えでぽっかりと時間が空いてしまったので駅の人ごみにいるよりは、と街に出ることにした。昼下がりで教会や美術館、レストランなどは閉まっていたけれど、古い街並みをは美しく、ぶらぶら散策するにはぴったりだった。
何軒か薬局があったけれど、「NO mascherina,NO Gel」(マスクも除菌ジェルも品切れです)の貼り紙ばかりだった。ようやく品切れの貼り紙のない薬局の前にでた。店に入り、「アルコールジェルはありますか?」と尋ねるとカウンターの女性がちょっと待って、と慌てた様子で奥に入っていった。イタリア語が拙すぎて伝わらなかったのか、と思っていると今度は白衣の男性が現れた。穏やかな笑顔でゆっくりと説明してくれるのを聞くと、どうやら日本のスーパーの入り口などに設置されているようなアルコール消毒液の大きなボトルしかなく、それを小分けすることはできる、ということだった。
しかし彼の持つボトルを見ると、売り物というよりは薬局のスタッフが日常使っているもののようだった。「ありがとう。でもそれはあなたたちのものだから。私は他を探します。」と伝えて店を出た。
これから品薄になるであろう商品を、常連客でもない、ましてや住民でもない通りすがりの外国人にも分けようとしてくれるその気持ちが嬉しかった。
後日、ちょっとした怪我のために違う街の薬局で買い物をしていたら、小さなボトルが並んでいた。「これってアルコールジェル?」と聞くと、店員の女性が「そう。あなたも1つ買っていくべきよ。大切なことだから」と微笑んでくれた。
ホテルのロビーにはテレビが置かれ、一日中疫病のニュースが流れていた。
連泊していたのですっかり顔見知りになったフロントの男性は、「世界中が大変だ。日本はどう?家族が心配だよね。」と気遣ってくれた。「イタリアも大変だけど、きっと大丈夫。」と力強く笑っていた。
不安を抱えながらの旅だったけれど、そんな中でもとても楽しく、いい思い出をたくさん抱えて帰ることが出来た。
出会った人たちの笑顔が、私の気持ちを軽くしてくれたのだ。
私が帰国してから数日の後、イタリア全土がロックダウンに突入した。
どうか、どうかご無事で、と祈る日々だった。
いつか旅を始めることができる日が来たら、今回訪れた街々にまた行ってみたい。
そしてまた笑顔の人々に会ってみたいと思っている。
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