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ごはんに救われた日のことを。

ごはんを食べる行為。

あたたかかったり
つめたかったり
さびしかったり
たのしかったり
おいしかったり
まずかったり

生きていくための行為。

昔見たドラマで、
つらいことがあったあとに
泣きながらカツ丼を
食べるシーンで

「泣きながらごはん
食べたことがある人は
生きていけます」
(カルテット 2017)

という台詞があった。
当時は意味がよくわからず
カツ丼おいしそーとだけ思った。


そのドラマを見てから
何年か経った頃、
命を絶とうかと思うほど
ひどく落ち込むことがあり、
私はごはんを食べる行為が
全くできなくなった。

つらくて泣いてはいるものの、
なにも口にいれることはできない。

泣きながらでもごはん
食べられたら生きていけるのかな、

そもそも
生きていくことに興味が
なくなったから
食べることもできないのか。

水分以外ろくに口に入れられず
2週間ぐらい経ってから
実家に行った。

座ったらすぐ
あたたかいごはんが出てくる。
生まれた頃から食べ慣れた
大好きな母のごはん。

なにも食べられないはずの私は、
気付いたら
泣きながら、食べていた。
おいしくて
あたたかくて
やさしい。

いつも通りの味なのに
涙が止まらなかった。

もう死んでもいいやって
思ってたのに
なんだか、
まだ、
生きていける気がした。
生きていきたいと思えた。

そういうことか。

やっとあの台詞の
意味を理解できた気がする。

脚本家がどういう意図で考えたかは
わたしにはわからない。

あのシーンを
見返してみたら
相変わらずカツ丼は
美味しそうだけど、
昔と違って、台詞がガツンと響いて
まんまと泣いてしまう自分がいた。
その言葉のおかげて、
心の傷が消えるわけではないけど
すこし傷口が小さくなった。

素晴らしい言葉。

「千と千尋の神隠し」で
ハクが作ったおにぎりを
最初は「食べたくない」って
言った千尋が、
ぽろぽろ泣きながら
食べてる場面があった。

いろいろ考察されてて
正解はわからないけど、
あの涙ももしかして
そういうことなのかなあと
ふと思った。



食べることと、
生きていくことは
リンクする。


泣きながらごはん
食べたことがあるから、
わたしは今日も
生きている、
生きていく。

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