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#21 小さな店の大きな悩み

東京の下町にある「たいやき庵」は、ひっそりと路地に佇む小さな鯛焼き屋だ。昭和初期に創業し、三代目の店主・斉藤誠二が祖父から受け継いだ味を守り続けている。店の佇まいは古風で、焦げた木製の看板に刻まれた文字は長年の風雨にさらされ、いい具合に味わいを増している。暖簾をくぐると、香ばしい鯛焼きの香りが辺りに漂い、思わず足を止めてしまう。

「はい、焼きたて。アンコ多めにしといたよ。」

誠二が常連の年配客に手渡すのは、皮がパリッと焼き上がり、中の餡が熱々の鯛焼きだ。地元の人たちがふらりと立ち寄り、井戸端会議を楽しむ――そんな昔ながらの温かい風景がここにはあった。

だが、ある日を境にこの静かな店が少しずつ変わり始めた。

きっかけは、外国人観光客によるSNSの投稿だった。路地裏に隠れた名店として紹介されたことで、徐々に観光客が増え、気づけば連日行列ができるようになった。

「オーマイガー!タイヤキ、ファンタスティック!」

異国の言葉とカメラのシャッター音が飛び交う光景に、誠二は困惑を隠せない。最初は「繁盛してありがたいことだ」と思っていたが、地元の常連客が減り、店の雰囲気が変わりつつあることに気づいた。

「最近混みすぎて行けないよ、誠ちゃん。」

そんな常連客の声に、誠二は胸を痛めた。この店は地元に根差した存在でありたい。それが祖父や父から受け継いだ信念だった。しかし現実には、迷惑な客も増え、近隣から苦情が出始める有様だ。

意を決した誠二は「撮影禁止」の看板を出した。しかし、皮肉にもその看板はSNSで「撮影禁止でも行きたいレアな名店」としてさらに拡散され、観光客の好奇心を煽る結果になってしまった。

「どうしたもんか……」

誠二は頭を抱えながら、焼き台をじっと見つめる。このままでは常連客が戻らず、観光客相手の商売になってしまう。それでは、店のあるべき姿とは違う。

「誠ちゃん、ちょっと話がある。」

そんな誠二に声をかけたのは、商店街の会長である田中だった。幼い頃からこの路地で暮らしてきた田中は、誠二にとって頼りになる兄貴分だ。

「観光客を減らすのは難しいが、地元の人が気軽に来られる時間を作るのはどうだ?」

田中の提案は「早朝限定の地元向け販売」だった。観光客が少ない朝の時間帯を使って、地元の人がゆっくり買い物できる環境を整えようというのだ。

「なるほど、それなら地元の人にも来てもらえる!」

誠二は早速行動に移した。翌日から、朝七時から九時までの二時間を「ご近所限定タイム」として営業することにした。観光客がまだ動き出さない時間帯に特別営業することで、常連客が再び戻り始めた。

さらに誠二は観光客向けに、少し高級な「特製鯛焼き」を新メニューとして用意した。これにより、観光客は特別な味を求めて並ぶようになり、混雑が分散される効果を生んだ。

数週間後、田中が店に顔を出し、にんまりと笑った。

「どうだい、誠ちゃん。いい感じじゃないか。」

「はい、おかげさまで。やっぱりこの店は地元の人と一緒じゃないとダメですね。」

誠二は鯛焼きをひっくり返しながら穏やかに笑った。焼きたての香ばしい香りが路地に広がり、朝の空気を包み込む。

暖簾が揺れ、路地の奥から常連の姿が見える。誠二は、また新しい一日を始める準備をする。

たいやき庵の小さな物語は、これからも続いていく。

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