見出し画像

こだわりという争いの火種


意思、こだわり、正義、善悪、これらを個人的に持つことによって争いはある。
他者に自分の物差しを押し当てることが、どれだけ無意味なことか。そこには何も起きない。
他者は変えられない。真に共鳴した関係でのみ、その個人間で何かが生まれ得るが、相当に深い関係でしかそれは起こらない。
共鳴者がもしいるのなら、得られるものは一生を形作る大きな要素となる。

いなくてもマイナスではない。人の境遇は一人一人違い、その一生で体験することは全員異なる。
むしろ、不自然に、無理に何かを求め動くということは、苦や問題を起こす原因になる。

自分の真なる姿を突き止め、なるべくそれを正確に捉え、それに自然に従うことがなるべく歪みを生まない存在の在り方だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?