ライナス、お前もか
ずーっと手放せないタオルケットがある。
思えば記憶の最果てからタオルケットと共にしている人生かもしれない。
アンパンマンに始まり、ポケモン、今はミスドの景品のタオルケットを恥ずかしげもなく10年以上愛用している。端々はボロボロになり、洗濯を繰り返した結果クタクタのヨボヨボになってしまった。タオルケットがない夜は、大人げもなく泣きはしないが、ほんのちょっぴりそわそわしてしまう。それくらいタオルケットに安心感を抱いている。ここまで聞くとブランケット症候群を疑う輩もいるかもしれないが安心してほしい。私は一人でどこへでも行けるし、一人でぐっすり眠ることだってできる。話が逸れた。
昔から同じものを擦り切れても使い続けてしまう。捨てる理由が見つからないだけなのかもしれない。短くなりすぎた鉛筆も、もう少しで穴の空きそうな靴下も、もうちぎれかけているパスケースも、どうにかして使おうとしてしまう。捨てられないのに物はどんどん増えるから、頑張って物の住所を定める。もう住む場所がない。埋め立てをしていかねばならない。
物持ちがいいね、とか大切に使ってるんだね、とかそう言う話ではないのだと思う。大切には使っているつもりだけれど。
なかなか捨てるタイミングが見つからないのだ。というか“捨てる・手放す”という選択肢が弱いのだと思う。一度購入した物はかなり愛着が湧く。もう自分の物なのだ、我が子も同然だ、と。それをポイポイと捨てるなんて。
靴に穴が空いた。
雨の日に歩いているとどう頑張っても靴下が濡れる。意味がわからない状況に慄いていたが、踵部分に小さな穴が空いていた。この靴も、かれこれ7年くらい履き続けている。そんなに高くなかったにしては頑張ってくれている方である。ありがとう。でもどうしても変える気持ちになれない。穴は小さいのだから晴れの日は問題ないし、雨の日は踵を浮かせて歩けば良いのだ。なんせ履きやすくて慣れているから手放したくない気持ちが強い。捨てられずに靴箱の中に眠っている。定期的に開いては眺め、今日も捨てられずにいる。
ただ変化が怖いだけなのかもしれない。新しく買った靴がどうも足に合わず血まみれになったらどうしよう、とか、なんか思っているものと違ったらどうしよう、とか。後悔したくない。靴に限らずちょっとしたもの、例えば服だとか家具だとか、そう言うのも買うのに意を決する必要がある。要するに臆病なんだな。きっとセンスもないんだと思う。母に「そろそろ変えなさいな」と言われないと重い腰が上がらない。
もっと気軽に買って、気軽に手放せたらな。
意を決してちょっといい靴を買った。
母に報告したら、
「良い靴は良い場所に連れてってくれるよ」と言ってくれた。さらに「何か処分しなね」とも。
靴箱がパンパンになろうが、この靴がどんなに良い場所に連れて行ってくれようが、一度愛した我が子(靴)をジロジロ見て精査して破棄するなんてできない。
やっぱり物は溜まっていくばかりだ。たくさんの靴を見つめながらタオルケットを握りしめた。