かくのごとく、我聞けり
この本を読んでるやつはサブカルクソ野郎だとか、このYouTubeを見てるやつは頭悪いだとか、この食い合わせは体に悪いだとか、このファッションは年齢にあってないだとか、人生いろんな落とし穴が多過ぎる。また、それを指摘してくる野暮な輩の遭遇率も高すぎる。インターネットの弊害なのか、はたまた思考が合わないのか。
頑張ってたくさん難しい言葉覚え、文章にする時に「間違った使い方じゃないか」ときちんと調べてから使っても、“難しい言葉をたくさん文章に入れるやつは逆に頭が悪い”というものを見つけてしまい、椅子から転げ落ちてしまった。やられた。
もう少し自由であってもいいじゃないか。何が多様性だ。多様性という言葉に縛り付けられてるじゃあないか。本来、誰が何を好きであっても認められるのではないのか。なぜ嘲笑の対象になるのか。別に押し付けているわけではない。好きであることを公言しているだけである。なのになぜクソ野郎のレッテルを勢いよく貼り付けられなければならないのか。
【これが好きなんでしょ/こういうのが好きなんでしょ】と決めつけられるのも嫌悪に嫌悪でゲロゲロだ。なぜ好きになったのかとか、どんな思いで好きでいるのかとか、経緯を全くもって無視しているではないか。好きになるものには多かれ少なかれその人だけの物語があるはずなのに、そんなのお構いなし。はいはいコレねコレね(笑)。あー、そういうの好きだよねえ(笑)。都合のいい言葉だねえ。恥ずかしくないか。
政治に対する姿勢も似たものがある。ちゃんとしなきゃと思って調べて勉強しても「ここに入れるやつはおかしい」だの、「ここに入れたやつ日本終わらせる気なのか」だの、自分の考え抜いた選択を、あたかも間違いであるように発信するものが多すぎる(気持ちはわかるが)。投票後に『間違えたのかな』と不安でいっぱいになってしまった。
もっと自由に好きなものを好きだと言い張って、その気持ちを大切にさせてほしい。誰が何を好きであっても、それは止めるべきものではないし、そんな権利を持つ人間はこの世に存在しないはずである。本当であればもっと堂々としていていいはずだ。
一方で、好きなものを嫌いな人がいるのも確かである。お互いに出す場所を考えることが必要だ。それを踏まえた上で、直接本人に“そんなもの(笑)”と伝えなくても良いではないか。好きなものを大切にする気持ちを、こちらも大切にしていきたい。自戒も込めて。
きっと分かり合えないんだろうな。しょうがない。しょうがないで括ってきちんと分別をしてゴミ箱に捨ててしまおう。好きだよね(笑)と断定することに酔いしれる可愛らしいガキ大将。君たちの思考にはなんの伝統もない。開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。もう少し物事に対して関心を持つべきである。本当に興味がないのはどちらであるのかを。
あなたはこういう文章お好きなんでしょ?(笑)
売り言葉に買い言葉。いくらでも書くつもり。