拘泥?そんなんじゃないよ。
ここを聞いて、絵のイメージがパッと出てきた。
これは子育ての曲なのかも知れない。
母親というものは自身のお腹にいる生命を護るように、遺伝子に組み込まれているのだと聞いたことがある。どんなことがあっても、どんな思いでも母親は自分のお腹の子供のことを愛しいと感じると。
母性本能、とはしばしば議論されるものである。今は『母性本能、なんてものはない』という説もあるくらいだ。私は“母性本能”と“母として子を護る”は意味が異なると思っている。
母性とは、女性に先天的に備わっている形態・機能、そして成長過程で精神的・経験的に獲得する子どもや次世代を育てるための特性のことである。
私が過去お世話になったナース専科さんがそう言っている。
しかし、母性という言葉で悩む母親も見てきた。
『この子のことを可愛く思えない』
『この先が不安で怖い』
『もしかしたら母性がないのでは。母親失格なのでは。』
そんなことを話す母親も、お腹を愛おしいと撫でる。心臓が動いているか心配する気持ちがある。産まれてからも何度も母乳を持参してくださる。不安だと思いながらも自分の子に会いにきてくださる。それは特性という言葉に留まらず、母親がいないと生きていけない未熟な子供に対する遺伝子レベルでの母と子供の関係があるのだと感じる場面が多々ある。
母は無条件に子供を抱きしめる。
ぎゅっと君を抱きしめたい。
一方で子供は無慈悲だ。臍の緒からただ酸素と栄養を享受するのみである。親の愛や心配とは裏腹に、子供は自立したがる。もういいよと、もう1人でも生きていけるよと、外に出たがる。例え心臓を止めても、成長を止めても。
だから外に出てほしくないという、ネガティブな(子供のことを思うという点ではポジティブでもある)感情で子供の脱出を阻止しようとしてしまう。
また、ずっと母の身体の中で護ってきた生き物が、1日(もしくは数時間、数分)で空っぽになってしまう喪失感は計り知れない。だから出てきてほしくない。出来るならずっと、ずっとお腹の中でいちばん安全に一緒にいてほしい。ずっと傍にいて欲しい。
こんな不安定な状態の中、母はさらに不安定な子供のためにあらゆる敵や異物を排除していかなければならない。それは母だけでなく父もしなくてはならないことだ。どちらか片方だけではなく、2人で、自分の子供以外を全てを撃っていく戦闘機とならなければならない。
操縦したことない戦闘機にいきなり乗せられて、この子だけを信じて他全てを撃つなんて、精神的にも体力的にも苦しい。だからこそ、同志で支え合っていかなければならない。
世界がそっぽ向いても。
しょうもなく、曲に合わせて絵の説明と根拠もない親子関係についての持論を展開してしまった。気色悪くて申し訳ない。今が深夜だからだ。構えた銃を下ろしてほしい。こちらはもう白旗を上げている。
子育てや出産、家族の話になると熱が入ってしまう。偏見も。
それくらい、新生児を、新生児のご家族を、その生涯を、私は愛している。たくさんの幸福も喪失感もまとめて愛している。
だから自分の妊娠も出産も後ろ向きだ。幸せと同時に辛さや怖さを知っている。第三者でいることが、いちばんの幸せなのかも知れない。
拘泥?そんなんじゃないよ。
ちなみに、“胎盤を裂いて生まれる”という表現から考えられる子宮内の構造は前置胎盤であるので、大体帝王切開で生まれてきます。なので胎盤を裂く、というよりも“腹を裂く”という方が臨床的にはリアルです(私は新生児の蘇生に必死で胎盤の行方を見ていないことを思い出しました)。特に『全前置胎盤』は大量出血のリスクがある状態です。週数と共に治っていく、という話も聞いたことありますが妊婦さんは専門外なのでハッキリとは言えず、勉強不足で申し訳ないです。かかりつけ医にお尋ねください。
もしかしたら、羊膜を裂いて生まれる、という意味なのかな。そんなのそうに決まっているか。
これはあまりにも蛇足だった。撃ってください。