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行ってきたよ〜ん

もう旅行、というのが面倒なくらいだ。みんながライブにふらっと行く感覚で、私もふらっとライブに行き、ついでに東京の物件を探っているだけであるのだから、ちょっと遠めの、ちょっと贅沢な散歩といっても差し支えはないのだろう。

東京への散歩に限らず毎回どこかに出かけた帰り際にはとてつもなく落ち込んでしまう。やや感情の浮き沈みがコミカルなタイプではあるが、にしても落ち込む。それをどうにかしてやろうと躍起になり帰りの新幹線待合室でnoteをぽちぽちすることがルーティンとなっているが、ただ落ち込んでいるだけなので何の形にもならずいつもシャボン玉のように弾けて消える。正確には下書きに溜まっていくだけだ。

いつも同じようなことをしているので特段書き連ねる必要も、新しさも、斬新さもないが、私の気持ちが沈みきらないためだと思って、私のために書く。

ライブへ赴き、ひたすらに表情筋と腹筋の筋トレをしてほくほくと帰路へつく。この時間がかなり好きだ。翌日もまだあるから、という思いなのかもしれない。カメラに収めた写真を眺めている時間もとっても好きだ。音楽のライブは知らない曲があると楽しくないのでは、と思ってしまう。斜に構えているだけだと思うがなかなかハードルが高い。予習もしなければならないし、その場の雰囲気に混じらなければならない。しかしお笑いは何も知らなくても、ただ客席で喋らず笑ってさえいればいい。“さえすればいい”と書くと捻くれているようにも思うが、自然に笑えるし、それが幸せだ。
初めての会場とか、初めてのユニットを見る時なんかはルールがあるのではと少し怯えてしまうが、格段変わることなんてないから居心地がいい。一生見ていられる。それで笑い疲れて死ねるなら本望だ。

せっかく書くのだから新しい試みのことを綴ろうと思う。
今回初めて蚤の市に行ってみた。アンティークなものから独特なものまで、なんでもござれだ。こんな空間が日本にあるなんて!心を奪われ、あまりにも店が多いのと、あまりにも人が多いので、眩暈を起こしながら、その眩暈に身を任せぐるぐると会場を回った。何を入れるか思いつかない額縁とか、医局の看板とか、昭和のメトロノームとか。いらねえ〜と思いつつ、ついつい手が出てしまう。つじあやのさんの「風になる」を聴きながらする買い物はあまりにも楽しい、というか贅沢だ。贅沢すぎる。本当はその前の人間横丁も見たかったのだが思わぬトラブルで間に合わずだったのが残念だ。違うライブでぜひとも見たい。

東京に来るたびに早く「東京帰る」ということをしたい、と思っている。いつか上京することは私の人生設計の中で決まっているのだが、常に切れ端を掴み損なっている。職場からは本来求められる目線とは違った目線での残留を懇願されている。職場の居心地が悪いわけではなく、あえてギャンブルをする必要もない。ぬくぬくと安心感があるこの場から思いっきり巣立てるような勇気が欲しい。早く成鳥にならねばと。

後日ブックマーケットに行った。
最近すごく好きになった作家さんの新刊が出るとのことで彷徨い歩いた。
運命的、とは大袈裟だが初めてその作家さんの本を見た時はすごく感銘を受けたというか、救われたというか、なんだかとっても涙が出そうになった。
当日、いざ本人を目の前にすると緊張してしまい、頭が真っ白になってしまったが、意を決して声をかけてみた。勢いに任せて好きであることを伝え、サインを求めてしまった。あとでブログをみたらその行為についての前向きな発言があったので「言えて良かった」と、そこでやっと安堵した。ポワポワしてたくさんの人(といっても限られているが)に本を自慢したし広めた。広められたのか?だと嬉しい。

お笑い然り、読書然り、本当に好きなコンテンツに対しては熱が入ってしまう。ない頭で自分の考えを吐けるだけ吐いてしまう(文字通り嘔吐である)。迷惑だろうなと思いつつ、吐いたら止まらない。申し訳ない。もっと上手になれるようにする努力をするべきなのか、抑える力をつけるべきなのか。なんだか疲れてきた。自分の考えとか発言とかに自信がなくなってきた。もうそろそろやめよう。

出かけた後はいつも落ち込む。
お笑いにお買い物、趣味に没頭していた。が故の反動だろうか。
今回もいつもと変わらずかなり落ち込んでいる。もしかしたらポロポロと泣いてしまうかもしれない。
しかし、蚤の市で買ったティーカップで紅茶を飲み、大量の本を読み進め、何とか日々を過ごすのだろう。どうせまたふらっと出かけるのだから。
出かけると元気になる。調子が良いものだ。

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