🎦やめどき
相も変わらずうつらうつらしている。
鬱ら鬱ら、という表現の方が正しいのかもしれない。最近は気が滅入ってしまって何にも力が入らない。
恋人には振られ、職場では上司に怒鳴られ、ファミレスの店員は俺が呼んでも一向に気づいてくれない。挙げ句の果てには一緒に独身街道を走って行こうと誓った同僚から「今度結婚するから結婚式に来てよ」と裏切られてしまう始末だ。
仕事がうまくいっていないから憂鬱なのか、憂鬱だから仕事がうまくいかないのか。鶏が先か、卵が先か。どっちでもいい。結局憂鬱なのだ。
憂鬱の延長か、最近は周りに嫌悪感を抱いてしまう。どんなに楽しく話をしていても、どんなに俺が今好意を抱いていても、そんなの関係なくみんなみんな嫌いだ。可愛い女の子がどんなに俺を褒めてくれたって、いくら上司が俺を持て囃したって、ちっとも響かない。どうせ心の中で見下しているのだと、さらに嫌悪感を抱いてしまう。どうせ、お前らも俺が嫌いなんだ。大丈夫、思い上がってなんかいない。
お前らが憎い。何か一つの物事に対して真っ直ぐに駆けていく様が。どうしても俺が惨めじゃないか。目的もなく、ただふらふらと目の前の物事をこなすことしかできない日々が。惨めで、惨めで、惨めでたまらない。とにかくお前らのキラキラした目が、地を踏み締めている足が、仲間と取り合う手が、とにかく憎い。
かといって、いまさら何者かになろうという気力もない。何か新しく始めることも、今やっていることをちょっと頑張ることも、きっかけを探すこともできずにいる。努力もせず、才能もない。
だからこそ、お前らが先に駆けていく、その足を引っ張って引き摺り下ろすことに精を出すしかない。ちょっとでも俺と並ぶように、俺より先に行きすぎないように。申し訳程度の罪悪感を抱きながらも。
やめ時をずっと探している。人生のやめ時を。
死ぬとかそういう話だけではないのかもしれない。仕事のやめ時とか、人生の諦め時とか。そもそも死ぬ勇気はない。かと言って長く生きるつもりもない。
早くどちらかの勇気が欲しいものだ。
努力する勇気か、死ぬ勇気か。