光
櫻坂46は光だった。
この光についていけばいいと思った。
私が本当の意味で櫻坂を好きになったのは一年半前の東京ドーム公演。正確に言えば、自分が櫻坂を好きなことに気付いたのが、東京ドーム公演が終わった頃。何となく櫻坂を見るようになったのはもっと前からだったような気もするし、その数ヶ月前にあったW-KEYAKI fes.で初めて櫻坂のライブに行き、そのまま導かれるように2ndTOURもほぼ全ての公演に足を運んだけれど、その時の私はまだ、櫻坂のライブに魅了されていただけの、ただ"櫻坂のライブ"が好きな人だったと思う。
そして私が魅了され続けたその2ndTOURの千秋楽となった前回の東京ドーム公演。びっくりした。アンコールを待つ間にじわじわと緑に染まっていく会場。その日一の盛り上がりを見せる観客。終演後の感想もそれについてのものばかり。ショッキングな光景だった。怖いとすら思った。動員については、確かに暗幕はどうしようにも目に入ったし、アリーナの妙な空間も目立ったけど、それよりもそこだけを見て言いたい放題の外野に腹が立った。「悔しい」と思った。なんか色々ひっくるめてただシンプルに悔しかった。このツアーが大好きだった。私にとっては救いだった。何よりこの東京ドーム公演、純粋にめちゃくちゃ楽しかった。だからこそ余計に悔しかった。
その時初めて、私は"櫻坂"が好きなのかもしれないと思った。
東京ドーム公演から一週間後、紅白出場アーティストが発表され、ここでもまた全身から力が抜けるような悔しさを覚えた私はいよいよ本気で気が付いた。いや櫻坂のことめっちゃ好きやん、と。
そして同時に思った。今このグループから目を離したら絶対にダメだと。当時も「深夜のひとりごと」などと言って呟いたけれど、この悔しさをリアルタイムで感じることができてよかったと思った。今追いかけないといつか絶対に後悔すると思った。いつか、紅白に返り咲いた時。いつか、また東京ドームに立った時。ちゃんと見てこればよかったと、きっと後悔する。そしてその"いつか"はきっと来ると思った。武者震いがしていた。
そこからはあっという間だった。
ツアー、海外公演、フェス、番組観覧、その他諸々。可能な限り全部追いかけた。このグループの今、一瞬一秒でも見逃したら絶対に後悔するの一心だった。
見てきたからこそ感じられたことは沢山ある。ファンの盛り上がり方だって目に見えて多様になった。パリでスタオバの櫓を登っていく藤吉夏鈴に、何も知らない現地の人たちが歓声を上げていた。声を出すのが定番となっている歌割りでなくても、良いパフォーマンスに対しては思い思いに歓声が上がるようになった。スタオバジャンプが生まれたのはジャイガだし、ロッキンやマレーシアでそこにオイ!オイ!と自然発生的に声がつくようになった。
アウェーな会場でパフォーマンスする機会も多かった。中でもフィリピンでのAAA、2023年で断トツでアウェーだったにも関わらず、パリで初めて海外のステージに立った時とは表情がまるで違っていて、それだけの場数を踏んできたのだと感慨深いものがあった。何歳の頃に戻りたいのか?のうたコンでは、普段と全く客層の違う客席から自然と手拍子が湧き起こった。良いパフォーマンスというのはちゃんと届くものなのだと、登場時のそれを遥かに上回るパフォーマンス後の歓声を聞くたびに実感していた。その歓声一つ一つが、彼女たちの自信になっていたらいいなと思った。
櫻坂の勢いがどんどん増していくのを肌で感じつつ、でも櫻坂はきっと何も変わっていなかった。ずっと変わらず、一つの作品に真摯に向き合い、一つの楽曲を、一つのステージを全力で届けてくれた。
何か変わったことがあるとすればそれはきっとファンの意識で、そしてそれを感じ取ったメンバーや運営が、だんだんとファンを仲間だと、頼ってもいい存在だと思ってくれるようになった。そういう空気を何となく感じていた。素敵な作品を届けてくれる櫻坂に、毎日に彩りを与えてくれる櫻坂に、どうにかして恩返しがしたいと私たちが行動を起こすと、今度はメンバーが恩返しをしたいと言ってまた最高のパフォーマンスを届けてくれる。私たちはメンバーが喜んでくれることが何よりの喜びで、きっとメンバーは私たちが喜ぶことを何よりの喜びだと感じてくれていて。周りに取り沙汰されるくらい目に見えて櫻坂が盛り上がっているのは、楽曲の強さでも、豊富な現場によるものでもなく、これじゃないかと私は思う。楽しそうなところに、自然と人は集まってくる。
"いつか"は本当にやってきた。
翌年、紅白に返り咲いた。
そして、櫻坂46としては二度目となる、東京ドーム公演の開催が発表された。
楽しかった。幸せだった。一生なんて誰にもわからないけど、それでもこの二日間のことは一生忘れないと思う。
Buddiesのみんな、準備はいい?という我らがキャプテンの問いかけに、待ってましたと言わんばかりの大歓声。360度超満員の東京ドームで、一面真っ白に染まったOverture。あの日見れなかった景色。ずっとずっと見たかった景色。涙が止まらないまま幕が開く。照明や特効を贅沢に使った東京ドームならではの壮大な演出と、決してそれに呑まれることのない圧巻のパフォーマンス。堂々と、逞しく、東京ドームでも櫻坂はずっと櫻坂だった。私たちが櫻坂だという自負が見えた。ひたむきに、ただ真っ直ぐに櫻坂として進み続けてきたからこその自負。一つ一つ丁寧に過去を掬いながら、そしてそれは光になる。今を照らし、明日を導く光になる。夢を見るなら、先の未来がいい。
心臓を貫く音。
降り注ぐ光。
煽り。 歓声。 汗。 鼓動。 涙。
私たちが本気でぶつかれば、最高のパフォーマンスで応えてくれる。期待をかければ、いつだってそれを超えてきてくれる。熱いステージに自然と声が出て、体が動き、時間を忘れて没頭してしまう。楽しくて、楽しそうで、この時間が一生続けばいいと願ってしまう。まるで魂のぶつかり合い。本編終了時、曲が終わってからメンバーの姿が見えなくなるまで拍手が鳴り止む気配はなかった。途切れないアンコールの声。それどころかどんどんとその声量は増していく。そしてその間ずっと会場全体で揺れ続けるサイリウムの光。全員が櫻坂を待っていた。
連れてきてくれてありがとうと彼女は言う。それは違う。連れてきてもらった、きっとそれも違う。ここまで来た。一緒に来た。この二日間、東京ドームが一つの生命体のようだった。生きていた。誰もが今に夢中だった。櫻坂の今に魅せられていた。忘れたくない。眩しかった。これまで重ねてきた幾つもの記憶が、一つ一つ小さな光となってあのステージを明るく照らしていた。
まったく、いい人生だった。
今がずっと楽しかった。櫻坂を追いかけていて後悔したことは一度もない。むしろ時々悲鳴を上げながら、多少無茶しながら櫻坂を追いかけてあちこち飛び回っている時、私は一番生きてると感じられた。
私に櫻坂が好きだという感情を教えてくれたのは確かに紛れもなく「悔しい」という感情だったし、この一年半、いつかこの悔しさを晴らしたいという気持ちが消えることはなかった。
だけどあの時このグループから目を離したくないと思ったのは、悔しいの前に何よりもまず楽しかったから。追いかけ続けてきた理由は、ずっとずっと楽しかったから。そして今これからも追いかけたいと思うのは、きっとこれからも楽しいと信じられるから。
櫻坂46は私の光で、
私にとってその光の真ん中にいるのはほのちゃんで、
私はこれからも、この光についていきたい。
この光の中にいたい。
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