さいごの季節
2023.5.17-18
圧巻の快晴。雲ひとつない青空。5月中旬に真夏日を観測したのは19年ぶりだそうですね。
本当にどこまでもしあわせな二日間でした。あの日見た景色は、溢れた感情は、一生、私の心に住み続けるのだと思います。最後のステージに立つ好きな人は、瞬きするのも惜しいと思うくらい、眩しく、綺麗でした。
「推しの卒業コンサートって何?」
「最後の最後まで実感なかったらどうしよう」
直前まである意味いつも通りだった私ですが、Overtureで気づけば涙がポロポロと頬を伝い、あっという間に実感させられてしまいました。最後の幕が上がる。東京ドームという日本最大級の箱で、幾万の光を全身に浴びて一人花道を歩く姿に、凄い人を追いかけていたんだなとどこか誇らしい気持ちになり、サイリウムを振ることや名前を叫ぶことは疎か、拍手をすることもできず、網膜にこびり付けとただ見つめるしかできませんでした。
その後も、何が引き金になっているのかもうほとんど分からないまま、何かを感じるよりも先に全ての感情が涙となって溢れ出ました。何回泣いたとかそういう次元の話ではない、今目の前に広がる全ての光景に"最後"が付くのと同じように、自分自身の一挙一動も全てが最後なのだと気が付いてからは、とめどなく溢れる涙を止めることができませんでした。
双眼鏡を覗いて、彼女だけを追いかけるのも、
ダンスを踊る後ろ姿で好きな人だとわかるのも、
トロッコから身を乗り出して手を振る姿に、羨ましくて下唇を噛むのも、
見失ってもすぐ見つけられるのも、
コールで名前を叫ぶのも、
推しメンタオルを掲げるのも、
ライブを誰よりも楽しむ彼女を見て、自然と笑顔が溢れるのも、
全部、最後なんだと。
全部、噛み締めなければいけないんだと。
同時に、これまでの色んなことが走馬灯のように蘇ってきました。連番した人たちの顔、ライブ後の飲み、遠征代を少しでも浮かせるための夜行バス。ライブに行けば当たり前だったことが"思い出"に変わっていく、これが推しの卒業コンサートかと、分かった時にはもう全て"思い出"になっていました。
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アイドルに微塵も興味のなかった私が、初めて好きになったアイドル、齋藤飛鳥さん。
13歳で乃木坂46に入り、出会いも別れも、喜びも悲しみも、感情を揺さぶられる出来事も、そのほとんどを乃木坂で経験してきた飛鳥ちゃん。人生の約半分を乃木坂で過ごし、文字通り乃木坂で育った彼女の卒業コンサートは、その場所を心から愛する人にしか作れない、未来を想うものでした。
最初に一つだけ、どうしても謝りたいことがあります。
時は少し遡り『乃木坂46 11th year birthday live』、初日の全体ライブと真夏さんの卒業コンサートを配信で見させていただきました。一番に出てきた感想は、なんて素敵なライブだろう。乃木坂が続いていく未来がありありと目に映るような、1.2期生が去り本格的に新体制を迎える今の乃木坂にふさわしい、本当に素敵なライブでした。あまりに素敵だったから、悲しくなってしまって。こんなライブを見せられたら、もう飛鳥ちゃんの卒コンできないじゃないかと。推しを華々しく送り出したいという気持ちはもちろん一番にあるものの、乃木坂にとって、この後に飛鳥ちゃんの卒コンをやる意味がないじゃないかと、泣きじゃくりたい気持ちでした。
飛鳥ちゃん推しとして、そう思ってしまったことへの罪悪感がありつつも、どうしても一人で抱えることができず、ごく数人のオタクにそう吐露してしまったことを昨日のことのように覚えています。だから、卒業コンサート初日、アンコールのスピーチで全く同じことを飛鳥ちゃんが話し始めた時、私は申し訳なさで座り込んでしまいそうになりました。本人がそう不安に思っていたのなら尚更、ファンが思っていいことではなかったし、先行きの見えない時期だったとは言え、飛鳥ちゃん推しが言っていいことではなかったと。
ライブ中の飛鳥ちゃん、本当に楽しそうでしたね。
自分のことを抱きしめさせたり、いたずらを仕掛けてくる後輩の頭をペシっと叩いたり、メンバーとじゃれる姿が愛おしくて。
泣いてる後輩を見つけては、笑って抱き寄せる姿がやさしくて。
会場のコールに、イヤモニを外して幸せそうに耳を傾けてくれる姿が懐かしくて。
思いのままにのびのびと踊る姿はどこまでも優雅で。
乃木坂を想う言葉を口にしようとすると、どうしても涙を滲ませてしまう、ずっと変わらないその姿が何故だか少し切なくて。
客席に背を向け、メンバーの目を一人一人ゆっくりと見つめた後、涙ぐみながら溢した「乃木坂、よろしくね」の切実な声。そして、「一緒に歌わせてください」と消え入りそうな声で曲フリをして、目に涙を浮かべながら披露した自身の卒業後のシングル『人は夢を二度見る』。バックモニターに映された後輩への最後のメッセージは、きちんと後輩に届いていただろうか。
〝それなりに大変なことも
もちろんあるとは思うんだけど 大丈夫!
しんどいときは まわりを頼ろう
とにかく頼って 甘えまくろう
支えてくれる人、案外 身近にいる!
ひとりじゃないんだし 絶対に 絶対に
いつか どこかで 誰かが助けてくれる!
だってそれが 乃木坂だもん〟
飛鳥ちゃんが言うんだから、きっと大丈夫。
不器用で天邪鬼な彼女だけど、思えば、乃木坂への愛だけはずっと真っ直ぐに伝えてくれていたような気がします。
今は、自信をもって言えます。乃木坂にとってこの卒業コンサートは意味があったと。乃木坂がこれから先に進むには、齋藤飛鳥卒業コンサートが必要だったのだと。そう思えた瞬間の胸の高鳴りは忘れられません。嬉しくて涙が止まりませんでした。
涙の拠り所だった人からの「大丈夫」が、
ずっとみんなの憧れで居続けた人からの「がんばれ」が、
乃木坂が何よりも大切だった人からの「よろしくね」が、
乃木坂が最後の一歩を踏み出すために必要だったのだろうなと感じました。
飛鳥ちゃんにとって "乃木坂46" という存在がどれほどのものだったのかは、今更わざわざ言葉にするまでもないと思います。その想いを私は真っ直ぐに受け止められていただろうか、飛鳥ちゃんの愛する乃木坂を、私も同じように愛せていただろうか。時々そう不安に思うくらい、彼女にとって乃木坂が一番で、乃木坂は彼女の全てだった。そのことに気付かされる瞬間はこれまでにも何度もありましたが、最後にして最高にでっかくその愛を見せてくれたのが、この卒業コンサートだったなと思います。
先に旅立って行った大好きなお姉さんたちの想いもその小さな背中に背負い、最後まで真ん中でドーンと立ち続けてくれた飛鳥ちゃん。2日間かけて、これまで大切に大切に守ってきた乃木坂を後輩に託して、その後輩を私たちファンに託して。朝の情報番組を見た母から「飛鳥ちゃん、後輩にエールを送るために戻ってきたんだね」と言われて、あぁ、本当にそうだな、その通りだなと思いました。乃木坂のこれまでと今を誰よりも愛し、そして、これからの乃木坂を誰よりも信じている推しメンが、心の底から誇らしかったです。
私の幸せは、飛鳥ちゃんの幸せです。会えなくて寂しくても、あの頃を懐かしんで苦しくなっても、飛鳥ちゃんが今幸せならそれでいい。だって、この数年間でこの先も生きていけるほどの幸せをもらったから。もらいすぎてしまったから。
そして、この卒業コンサートを見て、飛鳥ちゃんの幸せは乃木坂46の未来なのだと気付きました。飛鳥ちゃんが卒業しても、1.2期生が全員いなくなっても、私たちが、これからも乃木坂46を愛し続けてくれることなのだと気付かされました。昔は「人に期待しない」とまで言っていた飛鳥ちゃんが、最後私たちファンに向けてはっきりと「信頼してます」と言ってくれました。「乃木坂のみんなのことを守ってほしい」と言ってくれました。だからこれからも、今までと比べると少し遠くからになってしまうかもしれないけど、乃木坂のことはずっと見守り続けたいと思います。飛鳥ちゃんがくれた『恩送り』の連鎖を絶やさないように。約束します。推しの言葉って良い意味で呪いのようですね。良い意味でね。
だから安心して、思う存分、飛鳥ちゃんの生きたいように生きてください。
最後の最後まで幸せをくれてありがとう。素敵な景色を何度も見せてくれてありがとう。振り返った時にキラキラと輝くたくさんの思い出をありがとう。新しい世界を、知らなかった感情を教えてくれて、苦しい時しんどい時、今でも支えになる言葉をくれてありがとう。これからも大切にしたいと思える人たちと出会わせてくれてありがとう。あの時、どん底だった私を救ってくれてありがとう。私の人生を彩ってくれて、ずっと好きでいさせてくれてありがとう。貴方は私の光でした。
最高にしあわせな齋藤飛鳥推し人生でした。
飛鳥ちゃんのこれからが、穏やかな光で満ちていますように。
卒業おめでとう。
いってらっしゃい。