ダーリンと手をつないで歩く話
あたしの恋人は、あたしよりも年下なのにおじさんみたいだ。野球が好きで、ビールが好きで、ちょっと下品な夜のラジオが大好きだ。中背で骨太で、色白だが少しずんぐりしている。紺色の前掛けをしてホースで店先に水をまいていれば、10人が10人とも魚屋の主人だと思うだろう。彼は魚料理に目がないので(魚を自分で捌くのもお手の物だ)、魚屋は案外うまくいくかもしれない。
おじさんのような彼とは、もう3年の付き合いになる。あたしは冗談と親しみを込めて彼を「ダーリン」と呼ぶ。それを恥ずかしがっていた彼もすでに慣れきって、人込みの中でも返事をする。あたしはそれをとても愛おしいと思う。背が高くて風変りなあたしと、どこかおじさんみたいな彼はやや不思議な組み合わせかもしれないが、たしかに互いの人生の一部になりつつある。
しかしこの間、そんな彼の優しい申し出をあたしは一つ断った。その夜、あたしと彼は夜ご飯のラーメンで腹ごしらえをしたところで、帰路につこうとしていた。あたしはその日、朝一番から研究発表があり、背中には重い荷物を背負ってぐったりしていた。それを見た彼は気が付かなかったことを詫びて、あたしの代わりに背負ってくれると言った。
あたしは躊躇した。たしかに普段よりもずっと重い荷物だが、それを彼が背負う理由はないと思った。それで言った。「あたしの荷物なんだから、あなたが背負わなくていいのよ。」そしてふと思いついてこう続けた。「でも手は繋いでね。」
ほんの些細なやり取りだったのに、この記憶が頭に焼き付いているのは、それが人生の暗喩みたいだったからだ。あたしは人よりも多くの荷物を抱えて生きている。難病もADHDも治ることはないし、あたしの人生を少しずつややこしくしている。しかし、あたしの持っている重荷はあたしだけのものだ。それを彼や他の人が背負う必要はない。
手を繋いで横を歩いてくれるだけで十分なのだと思った。いつもよりゆっくりと歩いてくれた彼の手は、いつものようにふっくら柔らかくていつものように心地がよかった。