鳥山明先生についての思い出話。
原稿依頼もたぶん、こない。だって、好きだとかいちいち公言していない。おそらく、わたしと同世代の人はもちろん、年下の人だってきっとそうだろう。好きで当たり前の存在。それが鳥山明。だから、まずは思い出話だけ書く。
愛知県名古屋出身でわりかし文化的な生活を送っていたわたしは週に2、3回は喫茶店に連れて行かれた。このよくわからない習慣は名古屋特有のものだと知るのはあとのことだ。モーニングにはゆでたまご。帰りのはクッピーラムネがもらえる。小動物がラムネをぎこちないかんじでわしづかみ。それは当たり前の風景だ。わたしは親が新聞を読んでいる間、生クリームがたっぷりはいったアイスココアをストローで飲む。手垢に塗れた『少年ジャンプ』と、真新しい『少年サンデー』。いったん、全部に目を通した後、「ドラゴンボール」と「うる星やつら」を読んでいた。だから、喫茶店に行っていたのは月曜日ではない。
鳥山明を知ったのは父親の影響だ。アニメになる前から知っていた。『鳥山明○作劇場』をやっぱり、(栄の)地下街の喫茶店で「これはおもしろい」と読まされた。サンドイッチに塩をかける。そしてアイスココアだ。わたしにとって、父親とはセンスのいい、認められたい存在であり、その親が言うのだ。絶対だ。あのときの喫茶店はきっと今はもうない。店内に噴水があった。あれはなんだったのか。手渡されたマンガをわたしは夢中で読んだ。ここは記憶が曖昧なのだが「Dr.スランプ」より後に読んだのか、先に読んだのかわからない。父は藤子不二雄、江口寿史、大友克洋、西岸良平が好きだったのでまず、単行本が出たら買っていて、我れ先にと読んだ後にわたしに渡して、反応を見るのが好きだったようだった。だから、もっとたくさんの何かを読まされていたけれど、覚えているのは少ないのかもしれない。アイスココアの氷が溶けて、ゆるやかに薄まるほどに。
絵本みたいに何度も見直し続ける。ひとつの絵を繰り返し見続ける。ストーリーやキャラクターなんて、どうでもよくて、ただ、なんども中毒性を帯びたかたちでなぞり続ける。表紙を何度も見た。今ならその「巧さ」を言葉にできる。でも、子どものわたしはその言葉を知らない。知らない子どもが夢中になるのだ。その気持ちはやっぱり言葉にできない。
ドンピシャで「Dr.スランプ アラレちゃん」である。これ、「天才バカボン」の裏表なのか。主人公は別にいる。水森亜土の声が鳴り響く、ペンギン村という場所がわたしはこの世界にあると思った。車でドライブする時に助手席に座っていたわたしは、すぐに車酔いする自律神経に問題ありすぎ幼女だったので、気を紛らわせるためだったと今は思うが、「Dr.スランプ アラレちゃん」のドラマカセットテープを擦り切れるほど聞いていた。昔はガソリンスタンドにこういったカセットテープが売られており、子どもをおとなしくさせる魔法みたいなものとして供給されていたのだ。アラレちゃんはアニメ化されて、爆発的に学校で流行した。学級新聞に好きな人、挨拶は?みたいな問いにアラレちゃん、んちゃ!とか書かれていた。鳥山明が名古屋の人なので、ばりばりの名古屋弁のニコチャン大魔王も人気があった。アラレ音頭でんちゃちゃ。それが名古屋の風景だ。盆踊りの光。だから、鳥山明といえばわたしにとって、名古屋の神みたいなとこあるな。
アラレちゃんが好きだった。好きと言うか、しっくりくる自分の分身みたいな。髪の毛が毛糸みたいなおもちゃとかも欲しいと言った記憶はないが買ってもらった。バービー人形とガンダムでおままごとをする奇妙な子になる。何で好きだったんだろう?と分析すると「幼な心」の象徴であるからだ。はてしない物語。決して、大人になどならず、性的に見られる側ではなく、素直に、わたしはわたしであっていい。
うんちをまきグソのようにする訓練。なぜ、ピンクじゃないのだろう。無駄な努力などもした。そうだ!思い出した。幼稚園の時に「いちばんつよいと思うものを描いてください。それが鬼です」と、言われて、節分のときに使うかぶる仮面に描いたのがガッちゃん(ガシラ)だった。わたしが描きはじめるとみんなそれだと真似をした。だって、どう考えたって何でも食べちゃうガッちゃんがいちばん、つおい。父親はあれをどう思っていたのだろう。うれしかったのかなんなのか。笛吹きラムネ。違う。フエキのり。でんぷん。舐めても大丈夫なやつ。舐めたことは一度もない。
アラレちゃんは無自覚。無邪気。子どものころのわたしはそうふるまっていたが、常に誰かに監視されているような気持ちで、心休まらず。突然吐く。みたいな、我慢を究極まで煮詰めて、ぐえってなった。
則巻千兵衛はパパそっくりだった。なんで髭剃らないの?髭やだー!とのたまった。呪いのように子どもらしくを強要したのはパパはドクター。嫌いじゃないけれど怖い存在で、「そうあるべき」正しさが、そうしていれば「正しくなさ」も内包しながらあった。自由があった。自由であったはずなのに。子どもは親に作られた存在。嘔吐嘔吐嘔吐。
給食を食べる父。わたしの内臓をひらいて。わたしは消化もできないし。
歪んだわたしも許されり。父よ、パパよ、ありがとう。あの日、あのとき、あの時間に子どもであったわたしに買い与えて、それからさきにもひとつの指針として、そのいまの気持ちを忘れるな。たぶんそんなことは思ってもないだろう。
続く
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