【「世界平和」と「心の平和」】
今日は国際平和デーですね!
ということにちなんで、というか、そこに便乗して
壮大なタイトルをつけてしまいました^^;
さて、どう書き出そうか・・・。
私の中で、「平和」ってとても大事なテーマなんです。
で、大事だからこそ、「間違ったことを言いたくない」とか「誤解されたくない」とか
「想いがちゃんと言葉にできないもどかしさ」みたいなのをひしひしと感じて
なかなか文章にまとめられずにいました。
でも最近、ことあるごとに、
自分の思いを言葉にするのって、大事だなーとつくづくと感じて。
どんなにつたなくても、いったん書いてみよう!と
思ってからすでに1ヶ月以上経過(笑)
本当は8月に書きたかったんです。
8月が、一年の中で、一番平和について考えるきっかけが多いから。
でも8月を逃しちゃったんで(笑)
さあどうしよう、と思っていたら
9月にピースデー(国際平和デー)があるじゃん!と気づいて
今日書いて出す。ということだけ自分の中で決めていました。
と、前置きが長くなり、本文も長いですが。
読んでみていただけたら嬉しいです。
■世界平和について考え始めたきっかけ
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私は以前、「平和」と名のつく団体で働いていました。
世界平和とかについて考えるようになったのは、いつだったのか・・・
特に大きな「きっかけ」があったわけではないのですが
小学生のときにはすでに、社会の授業とかで
「世界で今起こっている戦争」について知ったりした時
「なんで21世紀にもなるのに、人間はまだ戦争をしているんだろう?」と思ったのを
ぼんやりと覚えています^^;
小学生の頃に、図書館で読んだ
『地雷ではなく花をください』という本も
印象に残っています。
特段、そういう生い立ちとか、家庭環境があったわけではないのですが
世界で起こっている戦争とか、その傷跡について
なんとなく関心が向いていて。
だからといって、何か行動に移すわけでもないけれど
ただ、自分の心の底辺に、うっすらとそんな思いが流れている。
それが小学生くらいの時の感覚でした。
中学は一転して、そういうことは何も考えていなかったような^^;
でも、ハリー・ポッターにのめりこんだのをきっかけに
英語が好きになって、海外に行きたいと思うようになり、
そういう意味で世界への興味は増しました😆
高校時代は、海外への憧れが増す一方で、
反抗期のせいか、社会や世界への絶望感みたいなのをすごく感じてました。
いろいろと辛い出来事もあった時期だったので・・・。
個人的な悲しみと、戦争やら環境問題やら、世界に山積する問題への絶望感が重なって。
自分ではどうしようもない、海の向こうで起きている出来事や
悪化していく地球環境のことまで背負い込んで憂いては
「大人は何もしてくれない」「こんな世界で生きていてもどうしようもない」
と自暴自棄になったりしてました。
児童労働や貧困について知ったのもこの時期でした。
自分が身につけてる服とか
大好きなチョコレートが、どうやって作られているのか。
「平和な」日本でぬくぬくと暮らしている、自分の生活の裏側で
何が起こっているのか、誰によって支えられているのか。
この暮らしが途上国の人や環境の犠牲の上に成り立っていると思うと
罪悪感でいっぱいになって生きるのを投げ出したくなりました。
社会や世界への不信感が、一番強まってたのが
高校生くらいの時だったのかなーと。
解決策だって、教科書に書いてあるくらい明白なのに
自分の利益しか考えない大人に嫌気が差して。
当時、私の思考は、「問題をどう解決するか」「そんな世界の中で自分は何をしていきたいか」には向かわず・・・。
ひたすら悪いニュースしか目に入りませんでした。
■はじめての地球一周と、世界を見て感じたこと
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それでも、やっぱり、どこか諦めきれずに、
ちゃんと何が起こっているか知りたいし、自分に何ができるのか考えたかったんだと思います。
19歳の時、ピースボートが主催する「地球一周の船旅」に参加して
南半球を一周しながらいろんな現場を見て回りました。
南半球の雄大な自然と、パワフルな文化と、貧困の現状と、紛争の痕跡と・・・
足を踏み入れるのが初めての国ばかりで、そしてどこまでも続く水平線にただただ圧倒されながら、感じたことは言葉に尽くせませんが
あえて一言にまとめれば、私が世界を見て回った感想は
「地球は美しい」
そして
「世界は歪んでいる」
その2つでした。
旅の後はアメリカの大学に進学して、
【この世界がどんな仕組みで動いているのか?】
とにかくそれを理解したくていろんな授業をとりました。
当時の私の関心は、経済格差と貧困に一番向いていたかなと思います。
結局、戦争もマネーゲームの一部。
今の経済システムがどんな流れで作られて、誰がルールを決めているのか?
ある意味で私は、世界を二分して見ていました。
支配する層と、支配される層。
抑圧者と、被抑圧者。
力を持つ者と、力を持たざる者。
そんな中で、凡人の私(たち)が、力をつけていくためにはどうしたら良いのか?
世界のルールを変えていくためには何ができるのか?
大学ではそんなことばかり考えて、勉強していました。
少なくとも、今の世界の闇に加担する生き方はしたくない。
私は、システムの外にいたい(そんなこと無理なんだけど)。
システムを変えようと戦う側の人間でいたい。
そんなことを思って、大学卒業後、
紆余曲折はありましたが、結局ピースボートに就職しました。
■「平和をつくる仕事」に就いて感じた葛藤
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船旅を通じて、世界の問題について知るきっかけを作ること。
平和に関心を持つ人を増やすこと。
自分たちに世界を変える力があるということに、気づいてもらうこと。
いろんな企画やプロジェクトを通じて
私がやっていたのは、つまりそういうことでした。
いろんな「反対」活動にも参加しました。
原発反対、戦争反対、核兵器反対、・・・
でもやっているうちに、私の中でいろんな葛藤が生まれてきました。
自分の活動の中に矛盾を感じるようになっていったんです。
例えば、自分のコーディネートするプログラムの中で
お互いを尊重し合うような人間関係が築けているか?
一緒にプロジェクトを進める仲間と
平和的な協力関係が築けているか?
事実は、不調和もたくさん生まれているわけです。
バカにしたり、意地悪をしたり、のけ者にしたり、力でねじふせたり。
・・・その小さなコミュニティの中ですら「平和」が作れなければ
世界平和なんて到底、到達できないよなあと冷静に思いました。
「平和団体」同士の関係性だって、
平和じゃないなと感じること、いっぱいありました😅
そして何よりも、私の、自分自身の心の中が、全然平和じゃなかった・・・。
だって常に、何かと戦っているのですから。。
それが最大の矛盾で、葛藤だったように思います。
人にも自分にも正義感を押し付けて、
それ以外の考えを認めない、みたいなところが
実は自分のこともすごく苦しめていたし
そもそも自分に自信がなく、人の目や評価を極端に恐れて
出発点からして自分の心の中に安定はなかったのです。
みんなには世界を変える力があるんだよ!なんて話をしながら
私は私の力を、自分で全然信じることができなかったのです。
そんな「弱い」自分のことも、自分で許せなかった。
当時の私は、本音で自分らしく生きるとか、自分を大事にするということよりも
「正しく生きる」ことを求めていたんだと思います。
自分がただキレイゴトを言っているみたいで
偽善者のように感じることもありました。
そんな自分に、本心ではもう、疲れていた。
時々、何もかも投げ出したくなる衝動に駆られていました。
それこそ、世界なんて滅びてしまえばいい、と暴力的な願いを放ってしまうような。
荒れ狂う心をどこかに押し隠しながら
世界平和について語る自分が
とても滑稽に感じていたけれど
だからといって他にやるべきことも、やりたいこともなく
別の生き方が当時の私には思いつきませんでした。
でも問題意識として
自分の心の中が平和でなければ
「あなたと私」の間に平和を築けなければ
家庭や職場での平和がなければ
世界平和はありえないのだと、身をもって感じるようになりました。
そもそも、気持ちや生活にゆとりがなければ
社会や世界の問題に関心を持ったり、考えようという余裕も生まれませんよね…。
■自分の心に巣食う差別意識や暴力
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もう一つ、私の中でそれ(心の平和の重要性)を決定的にしたできごとがありました。
(もう十分長くなってますが、もうこの際、長さは気にしないことにしましょう🤣)
それは、負の世界遺産「アウシュヴィッツ強制収容所」を訪れたこと。
第二次世界大戦中に、100万人以上のユダヤ人と「社会不適合者」が収容され虐殺された場所です。
私は日本人グループの通訳としてそのプログラムに同行していたのですが
強制収容所自体は、日本人のガイドさんが案内してくださいました
(たぶん会ったことがある人は一生忘れないでしょう、唯一の日本人ガイドの中谷さんです)
中谷さんの話の中で印象的なことはいくつもありましたが
私の中でいつまでも残っている言葉があります。
それは、ホロコースト(大量虐殺)は「まちなかのヘイトから始まった」という言葉。
大量虐殺が起こるまでには、いろんな段階がありました。
そしてそれは、たくさんの一般市民が参加・協力したことによって、起こりました。
その発端は、心の中にある差別意識。不満。自分たちの暮らしの不満を、誰かのせいにしたい気持ち。
恐怖心。未来への不安。
そしてきっと、世の中への諦めや、絶望感や無力感、行き場のない暴力的な感情などもあったかもしれません。
私は、アウシュヴィッツを見て回りながら、
そういった差別意識や、恐怖心や、暴力的な感情が
自分の中にもあることを、はっきりと認識してしまったのです。
そして、自分がその時代にそこで生きていたら、どちら側に立っていたかわからないと、正直に思いました。
ユネスコ憲章の前文には、一番最初に、こう書いてあります。
≪戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。≫
その言葉の意味を噛み締めた瞬間でした。
■心の癒やし、心の平和
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その後、ピースボートを去ってしばらくして、
心についての学びを始めたときは、ただただ自分を癒すことしか考えていませんでした。
でもそこから、人の心の悩み相談を受け始めた時
「何のために私はそれをやるのか?」それを改めて考えた時
【心の平和】に取り組むスタート地点にようやく立てるのかもしれない、と思いました。
その思いが、この2年ほどの間に、自分の中で少しずつ育ってきた気がします。
今年、ディマティーニ・メソッドを学んだ時も、直感的に
「この考え方を知る人が増えれば世の中もっと平和になる」と思いました。
その思いが、結局、私を突き動かしました。
今年の始めに、セラピストとして自分が何をやりたいか?と考えた時に
『心の地雷撤去』という言葉が浮かびました。
どういう意味かというと、みんな心の中に、≪絶対に触れられたくない痛み≫を抱えていると思うのです。
それに触れると爆発してしまう。つまり、感情的になって相手を傷つけたり、自分が傷ついたり。
無意識で、そこに触れないように、回避している、蓋をしている、そんな痛みや、傷。
自分を責めたり、傷つけてしまう方向に行く人もいると思います。
どんなに成功している(ように見える)人でも、
何かしら抱えているものだと思います。
私はそれをそっと解き放つお手伝いがしたい。
苦しみや傷を癒やすという意味でも、自分の潜在能力を最大限開花させていくという意味でも。
でも、『心の地雷撤去』は
あまりにもウケなさそうなネーミングなので、そっと心にしまいましたが🤣
(もうひとつ、『心の武装解除』という案もありました。→却下しました)
今の私は、NGOで働きながら「世界平和」を叫んでいたときより
よっぽど心の中が穏やかで平和です。
でもそれは、自分の中の暴力性や、ネガティブな感情がなくなったわけではなくて
ただそれがどこから生まれ、何の役割を果たしているのか「理解」して
感じきって、メッセージを受け取って、手放すことができるようになった
つまりいろいろな感情を「昔より上手に扱ったり対処できるようになった」という意味で
平穏が保てているし、人との関係もすごく良くなりました。
人を敵味方に分けたり、極端なジャッジが減って
ものごとの多面性が見えるようになってくると
世界に、人生にもっと≪愛≫を見つけられるようになりました。
どんな自分も包み込むように愛せるようになりました。
心が平和な状態とは、言い換えれば
≪感謝≫ ≪愛≫ ≪安心感≫
これで心のコップが満たされ、溢れているとき
その「在り方」の波紋はまた周りの人にも穏やかに伝わっていくのでしょう。
昔と今ではアプローチはまるで違うけれど、私は人の心や意識という側面から
すごく遠回りかもしれないけど、やっぱり今でも「世界平和」に取り組んでいるんだと思います。
果てしない道のりに感じるけれど。
「心の平和」というのをそっと自分の中の看板に掲げて
心理セラピストとコーチ、そして日々のあらゆる活動に
取り組んでいきたいなと思っています😊
ここまで読んでくださってありがとうございました!
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