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現役法学部生が考えるルールの話

法学部生としての人生も残り数ヶ月となった。

法律を学んだ者として、4年間の集大成として、
改めてちょっとルールについて考えてみたいと思う。

1・ルールってなに?

まず、辞書で「ルール」と調べてみる。

規則、規制、慣例、しきたりなどを意味する英語

なるほど、

食事は朝昼晩3回。おやつは3時。
エスカレーターは左側に立つ。関西は逆。
人を殴ってはいけない。
苗字は親と同じ。
〇〇時に待ち合わせ。○○分にバスが来る。

これらも、大なり小なり
一種のルールだと私は解釈した。

普段の自分の生活を振り返っても、
無意識にいろんなルールに従っている。

めんどくせえじゃねえか。
生きづらい。なんかいやだ。
なんでこんなに沢山のことに縛られているのか。

どうして法律や慣習という
「枠」の中で生活しなきゃいけないのか。

私は、人と人との間に必ず生じる
「ズレ」のせいだと考える。

自分と同じ価値観、環境の人はいないし、
他人と生きていくなかで様々なズレが生じる。

人間だれしも「キモい」部分や「イタい」部分を持っていて。異なる環境で過ごし異なる考え方を持っている。自分からしたら普通なことも他人からみたら変だったりする。

そんな人間同士が
同じこの地球上に生きるためには、
少しずつ我慢や妥協が必要で。

決められた規則に従って行動したり、
「ルールだからしかたない」と諦めたり、
うわー!っと好き勝手に生きたい気持ちを
ちょっとずつ抑えたりする必要がある。

そうすることで、
細かい「ズレ」を受け入れあって
沢山の人が共存できるようになる。

人と人とが共に生きやすくなるための枠を作る。
それぞれのズレを解消するためのルール。

私はそう考える。

2・ルールっていやなもの?(高校時代の話)

高校時代、私は校則というルールに
ガチガチに縛られた生活をしていた。

周りの生徒が化粧をしようが
スカートを切ろうが
携帯で自撮りを始めようが
私の所属するチアリーディング部は
絶対に校則を破ってはいけなかった。

(チア部時代の詳しい話はコチラから↓)

入部したとき、顧問は
「みんなでルールを守ることで
 信頼関係を築くんだ」と言った。

正直最初は意味がわからなかったけれど、
卒業する頃には意味がわかるようになった。

まず、
「彼女たちは周りに惑わされず
 ルールを守り続ける
 強い意志の持ち主だ」という信頼が生まれた。

そして同時に
「校則を遵守する」という一つのルールを
皆で守り続けている、という
結束力を感じるようになった。

自分たちだけスカートが異様に長くても、
チア部だからしょうがないもんね、
同士だもんね、ってなる。

いま一緒に踊っているチームメイトも、
みんな元はバラバラの人間で、
別々の価値観を持っていて。

けれど「ルールを守る」という行為で
そのズレは埋まり、
より結束して一つの目標に向かって
頑張れるようになった。

ルールを守るって
当たり前のようでとても難しい。

拘束されるし、我慢しなきゃいけないことも
沢山ある。そういうイメージが強いから、
「ルール」を守るという行為に
マイナスイメージを持つ人も多いだろう。

けど、そんな難しいことを乗り越えるからこそ、
ズレは埋まり、結束力が高まる。
まとまった集団となることができる。

ルールには信頼関係を作ったり
結束力を強める力がある。

さらに、ルールって
複数の人をひとまとまりにするモノだから、
ルールがあれば1人の小さい力も、
だんだん大きな力にすることができる。

パスタをフォークで食べる人とお箸で食べる人がそれぞれいるなかで、「うちの店ではお箸で食べてください」ってルールを作れば、みんなお箸で食べるでしょ?箸で食べる人の力がルールによって大きくなるじゃん。

こう考えると、
ルールってそんなに嫌な奴じゃなくない?
私はいろんな可能性をもっていると思う。

こういうことに興味をもって
私は法学部に進学した。

3・ルールって絶対?(ルール?展の話)

現在、21_21 DESIGN SIGHTにて
「ルール?展」が開催されている。

一見バラバラなように見える
沢山の展示を通して
「ルール」というものについて
様々な視点から考える。

私も先日訪れて、沢山考えた。
そして今このnoteを書いている。
(以下少しネタバレを含みます。)

展示の中で、
知らない人同士ひとつの空間に入り、
ルールに従いながら動くという
体験型作品があった。

映像の指示に従って、
14人の人が列になって並ぶ。

その光景を見た時、私は
「ルールに従うモノ」の美しさを感じた。

決まってる枠に素直に従って、
大人しくしている人たちって美しいし、
ちょっとかわいい。

与えられたルールにただただ従うって、
とても楽でとても無難だ。

「これが今年の流行です、これ着ておけばお洒落に見えます」って店員さんに言われた服をそのまんま買うとコーディネート組む時めちゃくちゃ楽でしょ?

これが今年のルールです、っていうのにホイホイ従えば、周りから浮かないし、割とうまくいく。

それと同じ。

言われたことを何も考えず受け入れればいいし
自分の行動を説明もしやすい。
考えなくていいからとてもシンプル。

あの展示の空間に綺麗に並んだ人々は、
ルールによって平等に扱われた。

けど、こういった疑問も浮かんでくる。

「このルール、絶対守らなきゃいけないの?」

きっと車椅子を利用した人があの展示に参加したら、なかなかルール通り動けないだろうし、もし、落ち着きのない小さい子が参加したら枠に収まらず走り回ってしまうかもしれない。

ただただ何も考えずに
ルールに従うってとても楽だ。

だけど、
きちんとそのルールを疑う目を持たないと、
柔軟に対応する姿勢がないと、
そのルールは意味がない。

先述したように、ルールとは
”人と人とが共に生きやすくなるため”のもの、
ズレを受け入れあうためものだ。

そして生きやすい環境を作った結果、
お互いの信頼や結束力を生む。

だからこそ、
その場で新しい「ズレ」が生じたら、
それをうまく埋める、
新たなルールが必要になる。

新たな「ズレ」はないか、
今のルールで信頼や結束力は生まれているか、
定期的に見直すことが大切だ。

たとえば法律なんかは、あらゆるズレに対応するために最初からちょっと曖昧に作ってある。

事件やトラブルにあわせて、法律の文言を細かく解釈して適用する。そうすることで、世の中にある千差万別なズレに対応する形に、どんどん変化していってる。

まずはルールを疑う目を持って、
柔軟に考えることが大切だ。

4・ルールって変わらないの?(結婚の話)

最近、選択的夫婦別姓という
制度についての議論をよく耳にする。

いま、もしタナカさんがサトウさんと結婚し、婚姻届を提出したら、2人の苗字をタナカかサトウに統一しなければならない。

これを、見直しましょうよ、っていう話。

「統一しなければならない」というルールを、
「してもしなくてもいいよ」に変えたら?って話。

すごい我儘な話をすると、21歳現在の私は将来結婚がしたい。けれど苗字を失いたくない。し、結婚相手に押し付けたくもない。そう思っている。


「アイ・アム・ノット・フェミニスト!」という
映像作品が、先述した「ルール?展」にて
放映されている。

婚姻届を提出していない2人の人が、「婚姻契約書」という自分たちだけのルールを定め新たな「結婚」の形を模索していく作品。

役所に婚姻届を出すことが「結婚」だと
あたりまえに考えていた私は、
”自分たちだけの結婚のルール”という
考え方にハッとさせられた。

冒頭に書いたように、ルールは
”人と人とが共に生きやすくなるため”のものだ。

婚姻届を出そうが出さまいが、
性別がなんであろうが、
苗字を変えようが変えまいが、

とある2人の人間が
「結婚」という名のルールを作り、
守ることを約束してしまえば、
それはもう「結婚」である。

婚姻届を提出して、
男女性別がばらばらで、
苗字が統一されて、
という今の日本に当たり前にある
「結婚」の枠みたいなものから
飛び出そうとする2人は、
私にはとても輝いて見えた。

ルールって本来こうあるべきだ。
人と人が共に生きやすくなるための
ルールなんだから、
その人達同士個人個人が自由に話し合って、
いちばん自分たちらしく生きれる
ルールを考えたらいい。

世の中の「慣習」というルールから飛び出して
自分たちのルールを築いていったらいい。

けど、私はこの作品を観て、
私にそんな勇気はない、とも思ってしまった。

「慣習」という名のルールを外れて、
自分たちだけのルールで生きていく。
新たな道を切り拓いていく。

これだけ聞けばかっこいいけれど、
きっとうまくいかないことも沢山あって。

この作品で描かれた「結婚」も、
国の法律では家族とみなされないし、
他人に独自の考えを説明する手間もあるし、
なによりルールを1から作るのってとっても大変。

めちゃくちゃガッツがいる。

現状を疑い、枠から飛び出してみないと
ルールは変化しない。

先述した高校時代、私は理不尽な校則とも戦っていた。「もっと寛大になってくれてもいいじゃんか!」と思うことがたくさんあった。けれど、変えようとはしなかった。だって大変そうだから。

けど、勇気を出して生徒会や先生にに話してみたら、割とすぐルールは変わった。すごい些細な変更だったけれど、それによって私達は生きやすくなった。

与えられたルール、法律や慣習に従って
大人しく、なにも考えずに楽に生きるだけでは
皆が求める変化はやってこない。

ルールは、きちんと今この場、
その人たちの間に適した状態に
変化しなきゃいけない。

法律はなかなか変わらない。
法律が変わらないと、慣習も変わらない。

今、私達には少しガッツが足りない気がする。

5・おわりに

ルール。

とっても広い概念で、曖昧なこと。

正直この文章を書くまでも
頭がぐるぐるして、全然話がまとまらなかった。

けど書いてみたらとてもシンプルな話である。

①ルールは人と人とが
共に生きやすくなるためのもの。
②守ることで信頼や結束力が生まれる。
➂時にはそのルールを疑わなければいけない。
➃状況に柔軟に合わせて頑張って変えていこう!

自分が、自分らしく、生きていくために。
人と共に生きやすい環境をつくるために。
ルールは必要不可欠なものだ。

法学部に通って、
沢山の国のルールに触れて、
よりそれを強く感じた。

けど同時に、
ルールって本当に
曖昧で不安定なものだとも感じた。

国や、他人から与えられたルールに頼らず
自分たちの頭で考えていかないと、
どんどん生きにくい方向に
縛られていってしまう。

ルールが凶器になってしまう。
ルールにはそういう恐ろしい面もある。

自分が、そして自分の周りの人たちが
ハッピーに暮らすにはどうしたらいいのか。

考え続け、変化を起こし続けるガッツを
持ち続けたいと思う、大学4年の秋である。

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