私本義経 前史 長兄の日々3
六波羅
果たして清盛殿の、信頼殿への返事など、丸きりの偽りだった。
俺たちを安心させておき、その裏で院政派とも親政派とも、話をつけていたのである。
今上と上皇は、お二方ともに信頼殿が押さえていたはずなのだが、今上は女装にて、牛車で逃げ出され、清盛の住まいする六波羅に入られたという。
上皇は仁和寺に避難された。
お二人とも信頼殿の手の内を出(いで)た。
清盛殿の手の内に陥ちたのだ。
父も俺も怒髪天についた。
お二人を手中に押さえてあるからこその錦の御旗。
失われた今、俺たちは逆賊に仕立て上げられてしまう!
追討の宣旨
平治元年12月26日。
清盛殿が弟、経盛殿、頼盛殿、同嫡子・重盛らが内裏に軍勢を率いて現れた。
清盛殿の命だ。
既に院政派も今上派もかき消すようにいなくなってしまっており、我らの陣には愚かなる、藤原信頼殿と我ら一族のみ。
我らだけが逆賊として、国中の敵となったのだ。
祖父・為義と違い、いささかのことでは激することのなかった父・義朝が、初めて人前で怒号した。
ひ弱なる天皇上皇たった二人、押さえておくことすらできなんだのか貴様は!!
貴様と呼ばれたことなど一度たりともなかったろう信頼殿は、どう反応して良いかすらわからない体(てい)だ。
だが父は、すぐ冷静に戻った。
私や次弟・朝長、三弟・頼朝、ほか、郎党らにもてきぱきと指示を出し、自らすぐさま戦闘に身を投じた。
続いた俺は思わぬ人物とあいまみえた。
悪源太義平殿か。
お手前は!?
平氏嫡男、平重盛と申す。
ご嫡男。
正式のご嫡男。
俺は長子でこそあるが…
ご覚悟!!
挑みかかる自分の中に、なぜだろう、頼朝への怒りがあった。
確実に。
重盛殿の兵は五百。
俺の手勢は十七。
怒りは確実に力となり、俺たちは、二十五倍の敵を面白いほどに蹴散らすことができてしまった。
命からがら逃れた重盛は、さらに五百の勢を連れて戻る。
臆したのではないのだな。
賛嘆がよぎる。
うわつ!!
朝長の声が届いた。
足許がおぼつかない立ち位置となったのだ。
俺からは遠い。
咄嗟に剣を投げようとしたとき、頼朝が駆け寄って敵兵を斬り下ろした。
顔色は真っ青だったがいい腕だった。
斬りつけてきた重盛が、
あれが嫡男ぞ?
と俺に問う。
跳ね返しながら俺も答える。
左様。
たぶん俺より手強いぞ。
そうであってくれと、心中祈る。
この日も押し返した俺たちだったが、多勢に無勢は目に見えていたし、追討の宣旨もある。
御所は出るよりなかった。
先手必勝。
勢いのあるうちに。
俺は手勢を率いて、清盛のいる六波羅に攻めかかった。
東夷(あずまえびす)が挨拶にきた。
清盛殿、お相手願う!!
きさまー!!
はやって出ようとする重盛を制し、年かさの男が出てきた。
はっとするほど威厳がある。
剣を構え、じりっじりっと迫るが、目力一つとっても俺を、何も知らない若造をたじろがせる。
絶対の自信。
絶対の存在。
頼朝なら、跳ね返せるのか??
たじろいでいる間に、俺たちの勢いは尽きた。
絶対数の違いがじりじりと俺らを退け始め、気づくと俺らは敗走していた。
逆賊
信西追討の恩賞として、父は信頼殿より播磨守を任官され、嫡男・頼朝は右兵衛佐に任ぜられたが、それらは束の間の栄華だった。
九日から二十五日までの、たった十六日間の。
今既に信頼殿は首と胴離れ、俺たちは東国目指して落ちてゆくよりなくなっている。
父、俺、朝長、頼朝、大叔父・源義隆(陸奥六郎義隆)。
一門ではないが近い源氏である平賀義信、源重成(佐渡重成)。
家臣で乳兄弟の鎌田政清、斎藤実盛、渋谷金王丸ら。
一同を伴い東海道を下る道中は困難を極めた。
落武者狩りがこれでもかこれでもかというほど我らを見舞い、朝長、義隆大叔父、重成殿は深手を負った。
一人、また一人と倒れ、あるいははぐれてゆく。
ついにはばらばらに切り崩され、俺は一人北陸路を辿ったが、父の訃報を受けて、京へ舞い戻った。
父は乳兄弟・鎌田政清殿の舅の家で謀殺されたのだった。
政清殿ご自身もそこで、酔わされた上で殺されたという。
逆賊には、姻戚も鬼になる。
そうとも。
信頼殿だって、清盛とは姻戚だった。
でも首をはねられた。
戦とはそういうものなのだ。
俺は京で何をする。
父の仇を討つのか。
幸い京には父の郎党・志内景澄が生き残ってくれていた。
仇を討つ。
だが誰が仇なのだ。
清盛だろう?
ああ、清盛だ。
やんごとない、公家のような武家。
偉容堂々としてたれ憚ることのない…
父もああなればよかったのだ。
藤原信頼ごときに傅(かしづ)き続けず、信西への恨みも捨てればよかった。
父は東国をまとめ、俺に戦いの日々をくれた。
精一杯戦って、良い眠りを眠ってきた。
だがこの戦いにはそれはなかった。
天皇や上皇を、押さえた者が勝者となる、駆け引きと裏切りが勝ち負けを分ける戦。
こんな戦はする意味はなかったのだ。
それでも…
俺は今度こそ清盛を討つ。
偉容堂々としてたれ憚ることのない清盛を。
あの丈夫を。
それが俺にできる最後の、父への手向けなのだ。