私本藤原範頼 西行の章2
西行
海風に吹かれつつ思う。
これは平氏との最終決戦ではない。
抵抗をやめ、法皇に~実際は頼朝兄上に~、恭順せよと伝えることが大切なのだ。
私は三万騎連れ来たが、自兵はほんの千騎ほど。
軍の大半は様々の将の抱える、百戦錬磨の勇猛なる兵である。
北条。
足利。
千葉。
三浦。
八田。
葛西。
小山。
比企。
和田。
工藤。
天野。
等々々々。
関東の、錚々たる一族の混成軍。
このほかに、梶原殿やら土肥殿やら、老獪なる先達も山と帯同する。
偏りなく活躍させ、上手に褒賞もせねばならぬ。
細心の上にも細心でかからねばならぬのだ。
悩みの種は佐々木一族である。
宇治川の時も高綱が、先陣争って抜け駆け仕出かした。
此度もなにやら仕出かしてくれそうで危うい。
と。
思っていたら案の定、佐々木家は早速やらかしてくれたのである。
手柄
元暦元年(1184年)十二月。
高綱のすぐ上の兄である、佐々木家三男盛綱が、備前は児島にて、平行盛率いる五百余騎籠もる城を攻め落としてはくれたのだが、実はこの、『くれた』は感謝ではないのだった。
感謝でない理由(わけ)。
それは…
そこに計略(たばかり)が在ったからだった。
船持たぬ我々に対し平氏は、船持つだけでなく、見事な操船術をも持つ。
わっと攻め寄せてわっと引く、陸でするような戦いぶりを、海上で船上でできるのだ。
その機動性ゆえに、私たちは後手後手となり、翻弄され続けてきたのである。
そして島々。
島々を伝い歩けるということは、陸を歩いておるのと同じ。
船上にあってそれのできる平氏は、海上を、平たな土地のように使えるということなのだ。
行盛もその優位に溺れていた。
児島が陸続きでないのを幸い、雑兵にやんやと囃させたのだ。
ここまで来てみろ、ごろうじろ。
陸侍は使えぬのう!
煽られて、のほほんとしておられるほど、我々は老成しておらぬ。
鮮血ほとばしるほど歯噛みして、ただただ悔しがるよりないことが悔しい。
何より血気盛んな坂東武者である。
悔しがって悔しがって目も当てられぬ。
そんな中で佐々木盛綱は、いきなり児島に届いたのだ。
馬で渡れる浅瀬を見出したのでござる。
私が一番駆け。
後に六騎ついて参った。
決して届かぬであろうと思い、侮って煽っておった行盛の勢は、たいそう驚きふためきましてな。
私が斬り進み、六騎が斬り進み、あとはもう、撫で斬りでござるよ。
一刻もせぬうちに、島の平氏のあらかたは斬り死に、わずかな生き残りが船で逃れ申した。
天晴れでござろう?
盛綱は得意満面である。
確かに…見事な手際とも、言うて言えなくもないのだが。
言ってしまいそうにもなるのだが。
私のところの家人が走りきて、小声で私に耳打ちした。
それで合点がいったのだ。
浅瀬は。
声が少し、裏返りそうになる。
それほどに、私は怒っていた。
浅瀬はどうやってみつけた。
私の全身が震えている。
きっとこやつは嘘をつく。
聞かせてもらおうではないか。
いやあ馬をば、汀に試しに乗り入れましたところ。
いけしゃあしゃあと言うか!
おぬしはそれでも坂東武者か!!
何を怒っておられるのです。
ほめられると思っていたのだろう。
盛綱口を尖らせて不満げなる。
怒りが冷たく変わり、私はやっと冷静に、物言うことができるようになった。
老母がきておる。
若い漁師はどこにおるのかな?
褒美は何をどれほど遣ったのかな。
盛綱ははっとなったが、それでもしらを切ろうとする。
な。
何のことやら…
佐々木氏!!
私の怒号にさしもの恥知らずもついに首をすくめた。
先駆けを。
たれにも譲りたくなかったもので!
骸はそのまま磯に打ち捨てたゆえ、今頃は、蟹や船虫が…
わあああああっと、幕外から嗚咽が上がった。
老母である。
そこに控えておったのである。