自転車を愛する人
わたしは自転車を二台所有している。
子供を後ろに乗せるための電動自転車と、10年以上前に買った、『ナチュラル号』と名付けたお気に入りの自転車がある。
女性が乗るには少し大きめの自転車だが、車輪の音、風を切る感じが心地よく、そこが気に入って買ったのだ。ただの自転車ではない。
思い出がたくさん詰まった自転車なのである。
子供が生まれてから滅多に乗ることがなくなってしまったが、たまに乗ると、とても気分が良い。
自転車自体も軽く、走りやすく、形もきれいだ。この自転車に乗っていると、何か心から自由な気持ちになれる。
ある日、電動自転車がパンクした。
普段バッテリーのお陰で大変軽く乗れている電動自転車も、タイヤがパンクすれば、ただの尋常じゃない重さの自転車である。
最寄りの自転車屋までかなり距離があり、2メートル進んでは立ち止まるというのを繰り返し、あまりの重さに無性に腹が立ってきた。
途中で何度も空を見上げた。挙げ句の果てには、自転車屋は定休日とあり、「うそやろ!」と声をあげてうな垂れた。
血眼でスマホで他の自転車屋を調べ、ただ一軒だけ、営業している店があった。そこから最後の力を振り絞り、鬼の形相で自転車屋へ向かった。
その店は最近オープンしたばかりの自転車屋であった。頼みます!と一言残して、直ちに休憩に入った。
30分後に店へ戻ると、物静かな店員が応対してくれた。
この自転車がどれだけ重たかったか、この道のりがどれだけ辛かったのかという辛気臭い話をその青年にすると、彼は苦笑いしていた。
パンクを直してもらった自転車は驚くほど軽くなり、意気揚々と帰路についた。あとで気がついたが、パンク以外にもブレーキも調整され、固くなっていたスタンドがスムーズに動くようになっていた。
仕事以上のことをさらりとしているあたりに、痛く感動した。
気に入った。この店は信頼できる。また何かあったらこの店に行こう。
それから2ヶ月あと、今度はお気に入りの自転車がパンクした。すぐにあの自転車屋に直行した。
今回は電動ではない自転車だったので、道のりは軽かった。心地よく気に入った自転車を押していると、ふと自転車じいさんを思い出した。
以前に書いた記事のじいさんのことである。(以下参照)
じいさんはいつもあの自転車を引いて、街中に出没している。
自転車を引いて歩いていると、自分もあのじいさんなのではないかという錯覚さえしてきた。
すると、目の前にあのじいさんが自転車を引いて歩いてきたではないか。
あっと思いつつ、じいさんとすれ違い、ゆっくりと自転車に目線をやる。
じいさんの自転車は、長年の愛着と同時に、とても大切にされてきた相棒のような気配を感じた。真冬だというのに、帽子も被らずスキンヘッドの頭、短パンで裸足でサンダル。
ただまっすぐ前を見て、力強く自転車を押しながら歩く様は、俗世間からは離れた何かを感じさせる。
しばらく盤石たるじいさんの後ろ姿を見つめてから、自転車を引き出した。
自転車屋に到着すると、やはりあの店員が真顔でこちらを見た。タイヤ自体が割れまくっていたので、交換してもらう。
店員は相変わらずぶっきら棒な接客で愛想はないが、逆にそこが職人っぽさを感じるではないか。
ついでに空気入れも購入し、背負っていたリュックに無理やり押し込んだはいいものの、リュックから半分以上飛び出た状態で、自転車をこぎだし、店を後にした。
そして帰ってきてまた気がついた。チェーンの部分にオイルがさされている。錆付いていたチェーンを見かねてさしてくれたのであろう。
決して押し付けがましくなく、客が気がつかなくても、いい自転車の状態に整備してくれているとは、なんと粋な人だろう。
わたしは思わず唸った。
あの店員も、
あのじいさんも、
自転車を愛している人なのだ。
2018.12.20『もそっと笑う女』より
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