アフロ・イン・パリ③
さらに夜の下町を散歩すると、だんだんとネオンが怪しげになってきて、やたらピンクがちかちかしている。元来浮遊癖のあるわたしは、いつの間にか友人たちと別の動きをして、何屋であるかわからないまま吸い寄せられるように入ってしまった。入り口付近にいた白人男性が振り向き、微笑みでもないあやしい笑みを浮かべて「ハロウー」と挨拶してきた。フランス人が英語話すなんて珍しい。デパートのお姉さんに英語で場所を聞くのに話しかけてもただ不機嫌な顔をされるし、フランス全体が英語禁止なのかと思うくらいだったのだ。
ふと店内を見渡して、そこはどうもポルノショップであると判明した。「しまった!」と内心叫びつつ店内を見ると、客のおっさんたちがアフロの挙動不審な東洋人学生に興味津々のようで、皆一様ににやにや笑いながら「ハロウー」と声をかけ始め、この旅行で群を抜いての大歓迎っぷりに、慌てふためきながら店を出た。浮遊癖は時々ハプニングに遭遇してしまう。
翌日は苦手なバスに乗り込み、ルーブル美術館へ向かった。中庭のナポレオン広場に設置されている巨大なガラスのピラミッド(ルーブルピラミッドと言うらしい)はやはり印象的であった。この旅行で一番「パリに来たなあ」と思わせたのは、セーヌ川を見た時と、ルーブル美術館で絵を見た時である。(京都で例えると、鴨川と金閣寺あたりだろうか)
集合時間までは自由行動だったので、安心して単独行動を満喫できると巨大な美術館を散策しはじめる。しかし、ルーブルの巨大さをわたしは完全にナメていた。「モナリサ」を拝んだらさっさと戻ろうと思っていたのだが、3万点以上の美術品が収蔵されている世界最大級の史跡なのである、そうは簡単にモナリザへは辿り着けるはずがない。ひたすら館内を彷徨い続けるはめになった。
最初はミケランジェロの彫刻に「ほう、、」と余裕でため息をつけていたが、延々続く古代文明ゾーンに次第にうんざりし始め、モナリサの「モ」の字もお目にかかれないまま時間は過ぎていき、気がつけば集合時間である。出口でさえ、もうどこかわからない。そう、ルーブル美術館で迷子になったのだ。
半泣きでアフロを揺らし、必死のパッチでルーブルを走り回り、東洋人らしき人に遭遇して話しかけるとその方は日本人で、出口を親切に教えてくださり、一人取り残されたアフロの東洋人にならなくて済んだ。
しかしルーブル美術館へ来て、モナリザを見ずに帰るって、わたしは一体なんのために遠路遥々日本からやってきたんだろうか、「あんた一体なんのために今まで生きてきたんだ?」に近い無念を残したことは事実である。浮遊癖を唯一後悔したし、ルーブルで印象に残っているのはミケランジェロの惚れ惚れとする裸体の彫刻だけである。
つづく