大人のわからないは、子供を安心させる

母はいつだって物事をきちんとこなそうと生きてきた。とにかく隙がない。
ちゃんとしなきゃ教の教祖なんじゃないかとさえ思った。
当時小学生の私に「なんであんたはちゃんとできないの!」と泣きながら訴えてきたことがあったことが、それが母の全てを物語っている。余白がなく随分辛そうな人生だな、と思って見ていた。

父は真逆である。どこか抜けているし余白だらけ。
襖は最後まで閉めないし、使ったものはそのままだとか、常に母に怒られている。休みの日はごろりと寝転び、テレビを見ながらケツをかいてただダラけている。随分つまらなそうな人生だな、と思って見ていた。
ただ、人間らしいのは父親だと思っていた。
まだ幼い私をスーパーカブに乗せてくれ、子供の私よりもはしゃいでいたのは父だったし、温泉から出てきて決まって、モナ王というアイスを遠くを見ながら無になって食している佇まいは、野生の動物にしか見えなかった。
高校生の時、私の美術作品(アンディウォーホール的なポップアート風の作品だった)の展示をわざわざ見にいってくれた際、父の感想は
「ぜんぜん、わからんかったわ!」だった。
良い悪いとか肯定も否定もせず、わからない。
大人がはっきり「わからない」と言えるのは、とても清々しいと思った。

高学年の時に母に、「この宿題がわからんのやけど」と聞こうとしたら、
「わからないわ」とはっきり言われた。えーー、大人なのに?!とびっくりしたと同時に、母の人間らしい部分にほっとした記憶がある。



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たみい
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