7年前のnoteの記事を眺めて


長らく横目で見て見ぬ振りしていた、マガジン機能を活用するために、過去記事を読み直した。
自分の記事ながら、クスッと笑ったり、ほう、と唸ったり、一々忙しい。このnoteの1番のファンは自分なのだ。自分の中のもう一人の読者が、「あんたの記事好きやわ〜」とか、「今回はイマイチやったな」とか、近所のおばちゃん的ノリで言ってくれる。総じて、「よう、書いてる!」だ。基本甘めにいつだって、褒めてくれる。だから、続けているのかもしれない。

息子が小さい時の記事で、ああ、この瞬間は死ぬ前にもう一度思い返すかもしれない、というものがあった。
何か称賛された特別なことではなく、ただの、ありふれた、ソフトクリームを食べるだけの日常だ。



『たまに買い食いは楽しい』


夕方、息子を耳鼻科へ連れていった帰り、むしょうにソフトクリームが食べたくなった。



近所のケーキ屋のソフトクリームを思い出し、「ソフトクリーム食べにいこうぜ」と、息子を誘うも、「ソフト?食べたくない、くまちゃんのお菓子(クマ型をした息子の好物のお菓子)がいい」と難色を示された。

「ほな、お母さんはソフト食べるし、別でくまちゃん買ってあげる」と言うと、「いいよ!」と晴れやかな顔になった。

補助輪付きの自転車をカタカタ言わせながら爆走する息子を、車が来ないかキョロキョロ見回しながら追いかけて、店へ向かった。



くまちゃんを買ってあげたものの、つやっつやのミルキーなソフトクリームを目の前にした息子は、ガン見して唾をのみこんでいる。



店を出て、歩きながら食べようか(それがおいしい食べ方だ)と思っていたが、ケーキ屋の前に置いてあるベンチで食べようと息子が提案してきたので、それに乗った。



店の前の道路は車の往来がかなり激しく、行き交う車を眺めながら、息子とベンチに腰掛け、ソフトクリームを食べた。

知り合いが車で通りかかり、「めっちゃソフト食べてるやん、あの親子」と見られていたかもしれない。
しかしソフトの誘惑には勝てない。ただ無心でソフトを堪能した。



半分以上息子にソフトを食べられつつ、わたしはぼんやり空を眺めた。



こういう時間が平和なときだ。
少しでも長く、こういう時間が続けばいい、そう思ったのである。



2017.9.5『もそっと笑う女』より




7年前の記事なのか・・やたら改行して、間隔を開けてるあたりに、気持ちの余裕を感じる・・
これを読んでから、思い出したことがあった。あるママ友に、「そういえば、前に道ですれ違った時、(子供と一緒に)今からソフトクリーム食べにいくねん!と嬉しそうに言ってたよね」と言われたことだ。
すっかりそんなこと忘れていたのだが、その光景を想像すると、我ながら「呑気でめっちゃ楽しそうやん」と思う。
友人は言った。「うん、すごく楽しそうだった!」
自転車の後ろに息子を乗せて、意気揚々とペダルをこいで、おいしいね、と言いながらソフトクリームを食べる親子の平和な姿が、急に愛おしく感じた。それは写真や動画のようなもので視覚で把握できるものよりも、文章の中の記憶のほうが鮮明に、その時の平和な「気分」も蘇らせてくるのだと、気づいた。

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