生きてる神さま
生きていると、「あんた神さまなの?!」と思ってしまうくらい、いわゆる良い人に出会うことがある。
数年前、保護者会で委員長のクジを引いてしまい、白目むいて「ぎゃーー」と叫んだ途端、それ以外の保護者たちは内心安堵の表情を見せたことを見逃さなかった。
「では副委員長に立候補される方はいますか?」との司会進行の投げかけにも、皆一同に視線を逸らす中、
控えめにすっと手が上がった。
「あの、副委員長します」見ると、子どもと同じクラスのお母さんだった。挨拶程度でそんなに親しくない間柄である。それなのに、テンパって泡吹いてるわたしにサポートの手を差し伸べてくれたのだ。「お役に立てるかどうかわかりませんが、できる限りお手伝いします」と、控えめに微笑んで会釈するのだった。
数日後、お迎えの際にそのお母さんに会うと、カバンからファイルを取り出して、「ネットで行事でできそうな案をレポートにして、まとめておきました」と渡してくれたのだ。数日前の会議でまったくアイデアが出なかったことを見兼ねてか、自主的に作成してくれたのである!
「あんた神さま?!」心の中で叫んだ。
その方以外にも、頼まなくても「会場はおさえときました」とか「会計や事務関係任せてください」とか会議する際の段取り細かい作業なども、他の方たちが率先してやってくださったので、役割を振るまでもなく、委員長の仕事は結果的にマジシャンの出演交渉くらいで終わったのである。
とにかく神さまがたくさん降臨した奇跡的な委員会だった。
神さまは何も良い人としてばかり現れない。
というか、自分にとって都合の悪い相手ほど、自分を成長させてくれる神さまなのだと思う。
21くらいの時に働いていた職場の上司のオバハンは、お局的なポジションで皆から怖がられている様子だった。案の定嫌味な態度をとられたり最悪な幕開けだったが、「こいつにぐうの音も出ないほど仕事を覚えてやる」と奮闘した結果、オバハンはわたしをなぜか「お嬢」と呼ぶようになり、頻繁に飲みに連れていってくれ他の誰よりも可愛がってくれるようになったのである。
生きてる神さまは、街にあちこちにいるのだ。