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フォロワー100人記念日


noteを初めてここ4年になり、書いたり書かなかったりのらりくらりとやってきた。自分的に書きたいものがなんとなくはあるが芯に触れられないのでなんとなく続けてるという状態で、ある日夫が「パッとしないぼんやりとしたものばかり書いてる、はっきり言ってマンネリ」と鬼編集者のように痛烈に批判してきて、え、家族ってもっとあたたかかく見守るもんじゃないの?と耳を疑った。しかし言われて痛い、と感じることは自分でも思い当たることが多い。瞬発的にクッソ、地の底に落ちればいいんだ!と舌打ちをして夫を恨んだが、別の思考ではこうも言っている。これはもう合わせ鏡で自分の意見ではないだろうか?事実、内心「なんかぼんやりしてるなあ〜書いててつまんないなあ〜」と思っちゃってるし、自分に言われてると思ったら尚更、痛い、傷口がどんどん広がる。あーもうなんだか自分にガッカリだ、でも私は面白いものが書きたいんだ、と思っていた数週間後、自分の中の反骨精神パンクス的細胞がウニョウニョ動き出し、いいものを書こうとか気が乗ってるから書くんじゃなくて、つまらなくてもそのまま全部書けばいいんじゃないか、と開き直った。誰も己に期待なんかしてないし興味あるわけがない。ここはひとつ、輝かしい目標は掲げずに、100本書いて2、3本オモロイものを書ければそれでいいやん、もうそーゆーことにしとこ、と行き着き、気がついたらフォロワーしてくださる方がちょこちょこと増えて、本日、なんと100人になった。じっさいのとこ全員がいいなと思ってフォローしてくださってるわけではないかもしれない。でも面白いなと思ってくれてる方がひとりふたりといたなら、それでも十分にうれしいし、これからもよろしゅうにと阿闍梨餅とか、おみかんでも配り歩きたいしこんなヘンテコな文章にわざわざ貴重な時間を割いてもらってるだけでも土下座したい。もうその辺は執拗に謙ります。読んでくださる方あってのnoteなのです。

長くなりました本題です、記念すべき100人目にフォローしていただいた方をぜひ紹介させてください。100人目だよ!わーい!
Sana Liuさん。

タイトルに「今日はなんでもない日。」に親近感、そういうことを味わえる人がすき。洒落たアイコンに、洒落た朝ごはん、シンプルに心地よく流れる雰囲気が読み進めていて心が浄化されていくようで、こういう方がフォローしてくださって素直に嬉しい。え、わたしなんかでいいんですか?と。

ここが特にすきです↓

作り終えたら、そのままキッチンで柿を食べた。
スリッパを放り投げ、キッチンに置いたままのパイプ椅子に座り、日が沈み始めた薄暗い空を見ながら、オレンジ色の電球の下で食べる柿は、もう少しで冬がやってくる事を感じさせてくれる。
美味しいけど、ほんの少しだけ切なくなった。

Sana Liu著「今日はなんでもない日。」より


これからもsanaさんの記事がたのしみです。わたしには書けない静かなるドラマチックな世界を。100人目の記念日をありがとう。



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