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どうしてもりんさんについて書きたいんじゃ。

ミックスナッツ、はちみつ、冷凍ブルーベリー、ハウスみかん、ブラックコーヒー。
モデル気取りかいっ的しょってる朝食をいただいた後、ベタ座りでちゃぶ台みたいな机でこれを書いてる網野です。おはようございます。

岡山出身だからタイトルを芸人の千鳥口調にしてみた(どうでもいい)
それより、もし私のnoteを日曜気にして下さっている人がいたとしたら思うかもしれない。
え?先週の予告は?エピソード1は?はい、却下。です
(詐欺の手口)

自分の人生を左右すると思える計画がゆっくりではあるが進行中だ。
(でもさ、大体有名人でもないのに気になる人おるんかい。疑問だよ。)
それより、私が今書きたいのは図書館で借りて読んだ
『永遠の詩 NO.5 石垣りん』についてだからである(きっぱり)

そして突然シリアスモードに入るのが私のnoteである。

30歳を過ぎたある日「くらし」を読んで号泣してから
「表札」を読んでこの先自分が詩を書いていく道筋を決意してから
ずっとりんさんに夢中だ。
2015年に岩波文庫から出た手書き原稿としてのみ遺された未発表詩をふくむ全120篇『伊藤比呂美編 石垣りん』は天神の書店で買って自宅まで待つことが出来ず天神の公園のベンチで読んだことを今も覚えている。

なのに2010年に出ていたこのシリーズは『現代詩手帖特集版 石垣りん』(りんさんの朗読CD 付き!)を参考にしたとされているからスルーしていてしまっていた。

りんさんの全詩の中から四〇篇を選択。詩集の刊行順の掲載。
最後に詩集未掲載の三篇が置かれている。
それぞれの詩に井川博年が短い鑑賞解説を書いている。これがいい。
「白いものが」ではこの詩は明るいと解説していてちょっとギョッとしたりしたが
(私も義父の養女として生きたからわかるのだ。大きく視界に入るのだ。白いものは石鹸でそれが当たり前に今ある生活の豊かさ、有り難さを書いてはいるが 米のない日には/お義母さんの椀の情も私には乏しくて/人中で気取っていてもこころの中は餓鬼となり果てた という四連目のフレーズが。父と義母の間にはりんさんと腹違いの兄弟たちが出来ていた。自分の子である兄弟たちと義母の子でないりんさんへの命を繋ぐ米の量の格差。餓鬼にならざるを得ない状況でさえ、りんさんは人前では気取って決して悟らせない。この痛さが養女として名前を変えられ、縁者もない土地で長年生きてきた私には突き刺さる。ああまた長く語ってしまった)

そこにはりんさん自身がその作品について語った言葉、後々口にしたとされる言葉をまるで読者の要望をわかっているかのように掬い取っては書いてくれている。作品の書かれたおおよその年齢もわかる。

未収録作品「二月の朝風呂」は現代詩手帖版に掲載されていた。
にもかかわらず、放心したこの作品を私は読んでなかった。
読めていなかった。
いや詩との出会いにもタイミングがあると書いてきたではないか。今が私がこの作品と出会うタイミングだったのだ。そう思いなおす。

りんさんには夢中だから詩人を語るでもあえて避けてきた。
所属する同人誌の編集から「石垣りんをやるから来ないか」とわざわざ
お知らせを受けても理由をつけて行かなかった。

好きだからこそ書けないと感じていたから。
愛で足もとがもつれることを言ってしまいそうだったから。
自分を語られることをりんさんは好きじゃなさそうだと今でも思っているから。
もちろん画像の島は

姿見の中でじっと見つめる
私ーはるかな島。
            『表札など』(思潮社・花神社・童話屋)

のイメージからだ。

この人ほど「バウンダリー」の巧みな詩人を私は知らない。
バウンダリーとは心理学用語で人との「境界線」。
そう言われているが「柵」に近いと専門書では書かれていた。
境界線はハッキリと分けられている。柵は違う。
塀のような柵、大股で超えられそうな柵。
自分の意志でその都度その高さを自在に調節するのだ。

これはTwitterやコメント欄で何度も書いてきたことだが
人は自分一人ではどうにもできない他者との関係性で、躓く。

新川和江は「わたしを束ねないで」と優しく依頼する。
茨木のり子は「自分の感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ」
と恫喝に近い怒りを表現する。
石垣りんは違う。
自分の言葉で誰かを変えようと試みない。

それに到達するには
変えようにも変えられなかった家族
最初からいなかった母(りんさんが4歳の時に他界)
あきらめるしか術がなかった、人間なんてはじめからいないと書いた
14歳から定年の55歳まで働いた会社
があった。
では彼女は他者をあきらめたのか?それも違う。
視点を変えたのだ。
「石垣りん」だけに。

『現代詩手帖版石垣りん』の弔辞で谷川俊太郎は
私は本当のあなたに出会ったことがなかった
と書き、現代詩手帖藤井一乃も
「私たちは、そのとき、常套句の陰でしずかに微笑んでいる詩人のすがたを本当に見ていたと言えるだろうか」と最後の頁で書かれていたが

私はそうは思わない。

柵の高さだ。
「僕たち 正解だったね」といった弟
いつも自分からつっかかって喧嘩を吹っ掛けた茨木さん
いつもではないにしても彼女の柵は低く設定されている。
本音の吐露(必ず相手を選ぶ。信用でき心を開いてくれていると思える相手にだけだ)やこの人なら許してくれると甘えの混じった感情を表すことは
心を許している人への行為そのものだ。

男性の詩人たちはよく
りんとしてるからこそおっかない。本音がわからない。
と書いていた(時代的に女性なのにも隠れていそうだ)
その反面、100年以上生きてきた老人と「相手がわかる話をしよう」とすぐに思えるりんさんや、想いのこもった送られてきた本を捨てられずその上に布団を敷いて寝るりんさんが
共存している。
相手や状況などによって柵の高さを変えているのだ。
逃れられない家や会社
辛苦から体得したバウンダリーである

トナリの人間に
負担をかけることがない
トナリの人間から
要求されることはない
私の主張は閉めた一枚のドア

         ((公共)『表札など』)


閉ざしているようでそれはいつでも開けられる。それがドアだ。
なんと柵に近いことか。

この解説で初めて知りえたことだったが
いやだ いやだ この家は嫌だ
と恥じた家と家族に対して
八十四歳で亡くなる病院で周囲の人に
「父と義母と弟たちと、喧嘩したりいがみ合ったりした頃がなつかしい。
あれが家族というものだった」と語っていたらしい。
それは老人の過ぎったものへの感傷では決してない。

だからわたしはどうしても書くのだ。

りんさんあなたは
抗おうと誰もがしり込みするものに対し
抗う詩を書いても
誰かを変えようとはしなかった。
その刃を自分に向けると常人であれば狂う。
だから逃げるか麻痺させるか忘れたふりをするかもしくは
他者に望みを見出そうとする。
あなたはそれをしなかった。

48歳で「表札」で精神を書いたあなたは
72歳になって「二月の朝風呂」を書いた。

実に二十四年。
一人の人間に例えると生まれて大学も出て社会人になる月日だ。
精神も体力も衰えて当然の年齢だ
(彼女は働いてる頃からヘルニアを患い手術を3度受けている。
半年以上病院のベットから起きられない時期もあったという)

72歳になったりんさんは
自分が生まれ、弟が先だった2月にこの作品を書いた。
(私の父が生まれ、姉と母を送ったのも2月でした)

………………………………………………………………………………………………………………

(前半 省略)

逝く日 近く
「僕たち 正解だったね」と私に言った。
共に未婚 
共に何を否定し
何を肯定してしまったのだろう。

風呂に入る
肌を走るのは 感覚
精神ではない。

生きていることの さびしさ。

          (「二月の朝風呂」詩集未収録)
………………………………………………………………………………………………………………

自らの思想に 否 を言える人はどれくらいいるのだろう
その思想はかつてH氏賞を獲得し激賞され誰も異を唱えなかったものだ
バウンダリーの達人が
視点を変え自分だけを核にしてサバイブしてきた人間が
72歳にしてなぜそれを書いたのだろう

私の答えはここには書かない。
それぞれの答えがそれぞれにあると信じるから

わたしの、石垣りん

                      (了)

       
























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