━You can never tell━「八月の鯨」
私はまだ十代で若さが恩恵にすぎないこともその残酷さにも、気付けていなかった。
書物や絵画には出会うタイミングがある。
きっと物事のすべてに。
映画も同じだ。年齢を重ねたからこそ沁みこんでくる作品もある。
お小遣いから捻出したタクシー代を握りしめてオールナイトの劇場に通い詰める子供時代を過ごした。
そんな私でも、老姉妹と老人達が登場するだけの夏の数日という佳作「八月の鯨」は当時ピンとこなかった。
美しい島の風景をなんとなく眺めて終わったように思う。
三十年後、五十肩になるような年齢になった。
母は白内障を患い、施設でぼんやりとテレビ画面を眺める生活を送っている。
さあ、この映画の出番だ。私は老いただけじゃない。
映画の母と呼ばれるリリアン・ギッシュの高潔な生涯も、ベティ・デイヴィスのチャレンジ精神に満ちた作品群もしっかり頭に入っている。
ひたむきに生き通した93歳と73歳の名女優達から、今こそ映画を通して生きぬく知恵を拝借するのだ。
2023年を遥か先に見ていた時代に公開されたこの作品は、予見するように老々介護を描いている。
全編を流れる落ち着いた雰囲気と緑あふれる色調。
その中で、ふんわりと姉妹の不断の努力を浮き立たせる。
美しい言葉で暮らすこと、ウィットを嗜むこと、自分を騙さないこと、身近な人を慈しむこと、そして、
物語のラストシーン
老姉妹は希望の象徴のような鯨の姿を確認しに岬に出かける。
とてとて、よたよたした足取りだ(なにせ姉は視力も失っているのだから)
ロマンチストで陽気、ふだんは気弱な事をめったに言わない妹が伝える
「鯨はもういってしまったわ」
口を開けば死に囚われた発言を繰り返してばかりの姉が語気強く言い返す。
妹の消沈を察知したのだ。
「わかるものですか」
もう一度
「そんなこと、わからないわ」
妹もちいさく頷く。
何度も。
どこかで晴れやかに鐘が鳴っている。
(了)