詩人。東淵修(掃除夫のおっちゃんの目)
東淵修の作品について、ずっと何かよい表現がないか考えていました。
そして私なりの答えを見つけました。
もう10年以上前になりますか
私は1年ほどグリコのパートをしていました。
オフィスグリコってご存知ですか?グリコのお菓子をメインに飲み物やアイスをリヤカーみたいな荷台に載せて、雨の日も風の日も暑い日も寒い日も、往復一時間くらいかかる指定のオフィスまで(大体一日10箇所以上)ゴロゴロ牽いて持っていくお仕事です。
富山の置き薬をしっているなら話が早いです。あの要領で。台車に新しいお菓子などを積んでオフィスに置かれたお菓子箱の中身と定期的に入れ替えにいく。オフィスに向かう行き帰りで声をかけられたらその場でも売るし、キャンペーン商品なども訪問先の企業にPRして買っていただいたりもします。
昔ながらの行商みたいなものですね。
以前は管理職までしててなんでそんなパート選ぶの???
よく人に言われたんですけど好きで、したかったんですね。父と母の両親も元々商売をやっていたせいか血、なんでしょうか。
しんどくない仕事はないと思いますがオフィスグリコのパートもいわゆる3Kに近いブルーカラーの仕事です。身なりお構いなくいまどきかっこ悪すぎな台車を牽っぱって、歩く。
道がガタガタな場所があるのはどのコースでも同じなのですが別の意味で私が受け持つコースはハードでした。
とにかく積載量がはんぱない。
特に水曜日は身長が155cmに満たない私には視界がきかない量を積んでいました。もう、座頭市の気分ですね。人の多い新天町商店街を通るときは気配で避けるしかない。そしてそんな量を積んでいればもちろん重いに決まっています。
えっちら運んで挙句、けんもほろろにされるわ紫外線でシミ増えるわ都会の排気ガスで花粉症になるわ(現在治っています)
そしたらね、気づきました。
東淵修の詩が、より身近になったんです。
あ、小さな段差見逃すだけで台車に弁慶の泣き所ぶち当ててこんなに痛いんだ車椅子の人はどうやってこの段差を上がるんだろ?
この会社の人はお客様にはすごい態度よくて女の子たちもいつも身奇麗にしてるけど何で宅配の人や私には使う言葉がまったく違うんだろ?
○○建設では談合話の電話。心療内科の待合室から慌てて出てきて会社の電話に対応している営業マン。お客様が出て行った後のスタッフ同士の本音の愚痴。
お菓子を入れ替えに来てるパートのグリコさんなんて透明人間なんですね。ほとんどの人が、気にも留めない。
そんななかで
うだつのあがらなそうなおじさんがエレベーターを押さえてずっと待っていてくれたり、腰の曲がったおばあちゃんがビルのドアを開けてくれたり、ギャル風の2人組みの女子高生が溝にはまった台車を一緒に持ち上げてくれる。
そこに、私の東淵修の詩がある。
きれいな部屋で空調きかせて本読んでいるだけでは、きっと気づかない実感。
カエサルの言葉に
「多くの人は、自分の欲するものしか見ない」というものがあります。
私も多くの人の一人なので、自分が経験しないことはなかなか見るに到りません。
東淵も書いていますが私も
自分の詩は人と人のつながりから生まれると思っています。
ですから、想像力で補いきれない部分は経験するしかない。
そうして、やっと、宿る。詩人の目に、詩が。
※(いったい釜ヶ崎とは、どのようなところなのですか?
僕にとっては、こういう質問ほど、トマドイ、アワテ、ショウショウロウバイ、する質問はないのだ。
人の心は、一万人あれば、一万人の心があり、一万人の飛躍があり、行動があり、夢があり、言論があるのである。)
彼が師と仰いだ坂本遼氏は
「中学卒業した人なら十分分かるそんな詩を書かなアカン!」
が口癖だったそうです。
たまに東淵さんが小難しい詩を書こうものなら
「誰に読んでもらうつもりなんや」
と散々叱られたとか。
「中学卒業ならわかる」ですか。
なんだか好きだなそういうの。
私もあなたのように
あなたの詩を読んだら泣けてきてしょうがない。
なんか
切なくて腹が立って仕方がない。
そんな詩が書ける詩書きでありたいです。
ところで
玄関で掃除してるヘラヘラ笑ってるおっちゃんが実はその会社の社長だった。
そういうことって、よくありますよね。
ね、東淵さん。
遅かった詩書きより
※『釜ヶ崎愛染詩集』(彌生書房)より引用