1年ぶりに書いた。詩について思った。
昨年の2月に母を見送ってから1年が過ぎた。24日に一周忌が終わった。
去年のその日から1度も長文を書かなかった。鍵をかけているSNSでさえ。今年の1月に同人誌の締め切りがあってほぼ無理やり書くまで詩も一切書かなかった。
(話は大幅に逸れるが、自分で編集をして痛感したことがある。締め切りを厳守しないことが如何に束ねる人間の精神を蝕むのかということだ。締め切りが決まっているのであれば 締め切り日>自作の完成度である。ちなみに谷川俊太郎氏はほぼ1ヶ月近くまえに原稿を出されるらしい。詩で食べていくということはこれくらいの覚悟があってこそだ。それを人づてに聞いてからなにがあっても締め切りを厳守するようにしている。納得いかない作品が書けない辛さに人を巻き込むべきではない。いっぱい失敗して年齢を重ねて強くそう思うようになった。実際原稿が遅れまくる人にまた原稿を、とは、なかなかならないものだ。優れた作品を書く人は腐るほどいるのだから)
いや、書けなかった。というのが、正しいな。
書きたくないときに書くことは違うなと思い、詩に失礼だなとも思い、どうしてもの同人作品を書くまでは放置していた。
1年ぶりに無理に書いた詩は我ながら酷かった。
不思議なもので自分で好きな作品、誰かが好きだと言ってくれた作品、評価していただいた作品はほぼ全て
どんなシチュエーションで書いたかを今でも鮮明に思い出せる。どこでどんなふうに書いたかそれぞれ違っても共通点がある。
溢れたあと、スルッと生まれること。
書くことを学ぼうと大阪文学学校に3年ほど通った時期もあったが実際自作が上達したかといわれたら疑問だ。(学校というのはコネクションを作る場と考えたほうがいいのではないだろうか。芸術関係であれば特に)詩を書いている人にうまいと言われることが増えても果たしてそれが良かったのかわからない。こと、詩作においては。
最近良く思うことがある。あくまであくまで私見だけど
詩と評論、ましてや小説の書き方はまったく別のもの。評論がうまい人、小説がうまく書ける人がいい詩をかけるとは限らない。
意味を追求しない、沈黙を尊ぶ、読み手と共同作業で構築していくのが詩だと私は思っているからだ。誰が読んでも同じ意味に取れる作品、書き手の伝えたいことしか伝わらない作品なら詩という手段をあえて選ぶ必要はない。
文字を前にして書き手が神にならない。それが詩であるように思う。
一生誰かが格好いいと感嘆するような洒落た詩は書けなくていい。
五感のどこかを散歩させられるような詩を書けるようになりたい。
そのためには溜めて溜めて溢れる寸前にスルッが必要なのだ。
3月3日 新月 ひな祭り
合わせたわけでは決してないのに
年数もきっかけもスタートも違えど
ふりかえれば私も母も
おひなさまから福岡に住むようになった。
母のことはまだ書けない。
いまはそれでいいと思っている。
きっとおひなさまは私の再生の日だ。
当日予約して市内のホテルに来た。
大きめのバスタブに入浴剤の花びらを散らして
携帯からジャズを流して
肌心地のいい真っ白なシーツにくるまり
ローションパックしながらこれを書いている。
長文になった。
この先どうなるんだろう。
詩作においても生きていくことにおいても
考えても仕方ないことで不安にならない。
出来ることをして備えるだけだ。
とにかく昨夜長文を書いた。
私にとって3月3日は再生の日である。