高村三郎の『春の泥』をずっと私は読むことができなかった。

ー三郎は現在四肢マヒで、首から下は全く動かせない。自分の意思で声が出せないから、言語が話せない。嚥下がうまくいかないので、スムーズに食事ができず、吸引してもらわないと痰も自力では出せない。でも幸いなことに、最初懸念されていた聴力や視力は侵されていず、意識も正常だった。このような状態を「幸いなこと」と表現していいかどうかわからない。三郎の苦痛があまりにも大きいときには、正直なところ同室の何人かの患者さんのように、惚けているほうがいいのではないかと思った。ー

                      (栞より引用 高村恵美)


きっかけは覚えていない。大阪文学学校生である私は当時元チューターであった高村氏の「支援する会」に少しばかりの献金をした。その謝礼にあたるのかほどなくこの本が送られてきた。

妻である恵美さんが書かれた状況を知るだけで高村氏の抱えた現実の重みに私は向き合うことができず1999年に刊行されたこの本をずっと本棚にしまいこんできた。

頬をわずかに振ることでパソコン入力し作成した句の数々を

いつかは、必ず読む。と、心に決めて。


2020年世界が一変した。

時短勤務になったこともありツイッターで7日間ブックカバーチャレンジをしてみようと思った。

最終日はこの『春の泥』にする。そう決めて。


この本が私が詩集を出すなら金時鐘にしか解説を書いてほしくない。

そう心に決めたきっかけになったのだ。


物書きはエゴイストが多い。と、私は思っている。

野心ばかり高くて交友関係も「どれだけ自分が脚光を浴びられるか?」

で決めているような人たちも珍しくない。と。

利用価値のない人はどんどん切っていく。

元はチューターであっても、もう、辛気臭い現実を抱えた人。

高村氏の下からどれだけの人が離れていったか想像するのはたやすい。

そんな高村三郎をずっとサポートしていたひとりが金時鐘だった。

この本の栞で

「高村三郎はいま、感傷も同情も寄りつきようがないところで息をしている。彼の生来の粘着力は瞳孔しか動かせないところで、ぎりぎりの意志発揚を俳句のなかで抽出している。」と書いた。

「彼をこんな目にあわせた神を呪う」

とまでも。私はこれを読んで泣いた。

詩人をまだ信じられると思った。

詩人である前に人間、金時鐘を信じられると思った

金時鐘という名が私の最も深いところに貫通した。


「植えし田の水満ちてくる生きぬかん」


高村氏は命尽きる日まで句を作った。

私も、命尽きる日まで詩を書く。



        

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