5年間行方不明だった愛車と再会した話
5年前のある日突然、いつも停めていた駐輪場から、愛車はいなくなってしまいました。
初めての購入は十数年間以上前、19歳の時、目標の大学に行くために借金をして予備校に通い、新聞配達所で住み込みで働き、ようやく借金が返済し終わり、合格のお祝い金と貯めたお金を合わせて大学の通学のために初めて購入したものでした。
初めて買ったバイクは通学以外にも、ツーリングに使い、東京から山梨まで旅をしたり、奥多摩を走ったり、京都や大阪などいろんな場所を一緒に旅してきました。
会社員になってから大阪で働くことになり、マンションは天王寺駅の近くの背伸びしたマンションに住みましたが、都心の駐車場は想像していたよりもはるかに高く、安いところは満車、空いている付近のバイクを停めれる場所の相場は月極2万9000円か、手頃な値段でも30分かけて歩いていかなければいけない場所しかありませんでした。
家の付近のやすい駐輪場の空きを待っている間、その間職場の駐車場にこっそり置かせて貰っていました。
職場が転勤になり、少し田舎の配属先になりました。今までのように職場にバイクを置けなくなってしまいましたが、新しい配属先の最寄りの隣の駅に無料駐輪場があったのでそこに置かせてもらうことにしました。
家の近くに停められず通勤にも使えず、次第に仕事で多忙になっていった私は様子を見に行く頻度が少なくなってしまいました。
その地域は中小企業の工業地帯の少し田舎で、よくヤンキーがおり、少し治安が悪いと囁かれている地域でした。そのため、用心を重ねロックを頑丈に二重にかけていたので盗まれるなんて思いもよりませんでした。
しかし、その用心も虚しく、ある日突然、愛車は忽然と姿を消しました。
盗難届を出そうにも、生憎、茶色の皮のサイドバックに自賠責保険や書類一式を入れていたので、家に帰ってもナンバープレートがわかりません。
届け出た警察には、車種とバイクの色と特徴を出来る限り細かく伝えましたが、なかなかメジャーなバイクとは言えず、認知度がなかったので、どれだけ説明をしてもおまわりさんにはピンときてもらえませんでした。
それからしばらく経つとバイクの税金の支払い請求が郵便箱に届き、請求されるままに何度か払っていましたが、愛車に関してなんの手がかりも得られないまま見つからず、遂には廃車手続きをしてしまいました。
その後も会社の転勤が続き、引っ越しで荷物の整理を繰り返すうちに、感熱紙の字が薄く消えかかった廃車届も、もう使うこともないか…と処分してしまいました。
しかし、まだ見つけられていないだけで、愛車がどこか遠くでまだ待っているんじゃないか、ずっと心残りでした。
一度、もう一回探しに行こうと未練たらしく無料駐輪場まで探しに行きましたが、既に、バイクを停めていた無料駐輪場自体がなく、再開発された町になっていました。
そして、なくなってから5年。今年の先月ことです。
コロナの話題で暗い緊迫したニュースが続き、学校、会社も閉鎖、家でずっと自粛という生活が続いてた時でした。ある日、近所の友人が家に遊びに来た折に、コロナが空けたらどこかに旅に出かけたいと、YOUTUBEでキャンプツーリング動画を見ているうちにバイクの話になりました。
ホンダのCT125のハンターカブがカッコいいと話をしていて、写真を眺めているうちに新しいバイクの購入もいいなと思っていました。
奇しくもそのハンターカブの鮮やかな真紅の色が以前乗っていた愛車の面影と重なりました。
眺めれば眺めるほど、新しいバイクより愛車が今どうなっているのかざわつき、思いが募ります。
流石に購入した時が19歳で今や私も三十路を超え、十数年の経過。
流石に盗んだ人すら放り出し、廃車でスクラップになっているか、東南アジアに売られてどこかで乗られているか、はたまたパーツ転売や金属売りに分解され、まともな状態にはなってないはず。
思い出の中のままの綺麗な愛車に会えるはずがないのです。
冷静に考えればわかることなのに、考えれば考えるほど愛車のことがなぜか頭から離れません。
そして、ダメ元で出来る事はやってみてそれで諦めようと再開発された駐輪場の市の担当窓口に問い合わせることにしました。
しかし、廃車届もとうに処分し手がかりはなしです。
5年前になくなったということと愛車の特徴を伝えましたが、盗難届を出した時のお巡りさんと同じように、担当の方も困った様子でした。
せめてナンバープレートや車体番号などの情報があれば…とのことでしたが、もっともな事です。
昔使っていた携帯の画像フォルダを漁り、ナンバープレートの写った画像がないか隈なく探しましたが、見つかりません。そもそも今の時代気軽に携帯で写真がいくらでも撮れるので5年前以上の膨大なファイルの中から見つけ出すのが困難です。
そもそも、愛車の写真を撮ってSNSにあげる時、ネットで悪用されないようにナンバープレートが写らないようにしか写真を撮っていませんでした。
そうだよなぁ…と落胆し、写真を探すのをあきらめました。
ただ、ナンバープレートは映らないけれども、一番楽しかった時に撮った写真は見付かりました。
この頃はテレビをつければ連日コロナの報道。
街はスーパーマーケットを残し不要不急の店は休業。仕事もしばらく落ち着くまでは在宅での仕事となり、家にいることが多くなりました。休日を迎えても、外に出て感染させたり、自分が感染源となってしまわないかが怖い。
人々も感染防止にナーバスになっており、どこかに遊びに行ったと呟けば不謹慎だと叩かれ、散歩で新緑の木々や道に咲く野花の写真をSNS上げても、外に出られない人もいると非難される、いわゆる自粛警察が横行していました。
休日、外に出ることも叶わないので、家の中の掃除と整理整頓で断捨離を始めていた所でした。
古い保証書を綴じたファイルがあり、期限が切れたりとうに使っていない物を処分しようと整理していた所、何年も前の保険の控えが出てきました。
そこには、ずっと探し求め続けていた、愛車の手掛かりのナンバープレートが記載されていたのです。
すぐにでも以前車種と特徴を一生懸命説明して困らせた市役所の担当の方にもう一度連絡を取りたい所でしたが、あいにく、その日は役所も休日。
迅る気持ちを抑え、休日明けすぐに役所に問い合わせることにしました。
最初の電話で、必死に特徴を伝えたからか、親身になってくださった市役所の担当窓口の方は、「ナンバープレートが見つかったんですね!だったらなんとかわかるかもしれません!」と、該当の再開発地区の管轄の放置自転車バイク保管所を調べ、問い合わせ先を教えてくれました。
そして、その電話を置いた後、すぐさま保管所の番号を打ち、コールを取られるのを待ちました。
最初、5年も前の事なので調べるのにデータの確認など数日かかり、一度必要な情報を伝えてしばらく待つことになるのだろう予想していました。
しかし、予想よりはるかに早く返答は来ました。
「ちょっと待ってくださいね…。5年も前かぁ…。あるかなぁ…。あ、ちょっ…、〇〇市ナンバーでしたっけ!?ありますよ!」
「え?」
「お探しのバイク、こちらで保管してます!」
コールが取られてものの1分もかからず、返答がきました。
5年も前になくなったバイクが、そこにあると。
普通だったら、撤去された自転車の保管期限は1ヶ月。
取りに来なければ処分されてしまうと聞きます。
それが、5年前で、しかも、とうに廃車届も出してしまったバイクが保管されている。
奇跡としか言いようがありませんでした。
数日後、軽トラックをレンタルして愛車が見つかった大阪の保管所まで向かいました。
長らく探した愛車は近畿自動車道の高速のにある保管所の、奥の奥のそのまた奥にありました。
そのバイクの保管場所にたどり着くまでに、自転車を貸してくれるくらい遠くにありました。
一目見たとき涙が溢れました。本当に愛車です。
撤去されたスクーターの中に、一台だけ、長い間悩んで選んだ個性的な変わった形だったからすぐわかりました。
全身錆だらけで、だいぶ色褪せてしまった赤色のバイクがありました。
両サイドにつけていたサイドバックは片方なくなり、残ったもう片方も雨風に晒されたのか見る影もなく朽ちており、落下防止についているサイドバックのスプリングが後輪にガチャガチャに絡みまくっていました。
両輪のタイヤは力なく萎んでおり、ヒビ割れ、黒く滑らかだったシートは白っぽくざらざらと劣化していました。
ガソリンタンクのキャップは盗まれ、ナンバープレートは田舎のヤンキーが暴走するときに通報されにくくする為に不自然な方向にへしゃげられていました。
ハンドルにかけていたはずのロックは当然のようにかかっておらず、そのかわり前輪に見知らぬチェーンロックがかけられていました。
後方のリアキャリアには純正パーツの銀色のカゴをつけていましたが、それもなくなり、表面の赤い塗装が削れて白くなってしまっていました
「ずっと待たせて、ごめんね………ごめんね………」
フューエルタンクをなぞり、5年の空白の間どんな経緯を辿ってここまで来たのだろうと思いを巡らせます。
ふと後ろのリアキャリアの方に保管所がつけている管理札がついているの見えました。
「令和2年、5月1日、〇〇地域東路上にて回収」
令和2年。つまり、今年。
私の手元からなくなったのは5年前なのに、足を踏み入れたこともない土地で見つかり、つい最近市に回収された。しかも今年の5月だというのです。
つまり、ずっと紆余曲折経て乗り回され続け、つい先月ようやく解放され回収されたということ。
5月以前に問い合わせた所でこの保管所にはなかったというのです。
それが5月に入ってから妙にざわつき、愛車のことが気になり始め、問い合わせたら、また出会えた。
私はこの時頭の中で、長い年月経て使い続けた道具には魂が宿り神や精霊になるという九十九神という言葉を思い浮かべていました。
19歳の時から十数年乗り続け、不遇の別れ方をしたが、最後の最後に持ち主に念じかけてきたのではないかと。
最期に看取って欲しかったんじゃないかと。
不思議な気持ちに包まれました。
およそ、もうこの愛車は乗れるようになるとは思われなかったのですが、せめて家のガレージでゆっくりサビでも落としてやり、飾っておこうと思いその場で廃車を依頼はせずトラックに乗せて持ち帰ることにしました。
トラックに乗せる為に、動かそうとすると、前輪には見知らぬチェーンが、後輪にはスプリングの針金が絡まって動きません。
ナンバーロック式になっているチェーンロックの番号はわからず、何とか外そうとサイドバックに残っていた工具で切ろうとも、頑丈で切れません。
「持って帰るときチェーンが厄介ですね…。チェーンカッターか何か事務所であればお貸しいただきたいのですが…」
「うーんそうだねぇ…。ちょっと使えそうな物探してくるわ…。」
おじさんが移動用の自転車にまたがって事務所に戻ろうと漕ぎ出し始めた時、待っている間なんとか無理やり引きずってトラックまで運ぼうとした時、前輪のタイヤが少し周りチェーンがホイールに絡まって一人でに砕けました。
まるで封印が解けたようでした。
まさか、きっとチェーンロックも劣化し何かのタイミングだったんだろう、とはいえ、これも愛車が意思を持ってるのではないかと感じる不思議な事でした。
ようやく、長い間思い続けた愛車と再会し、トラックに乗せ長い距離を運転して、ようやく自宅まで連れて帰りました。
まず、動くかどうかわからない、直すのにいくらかかるかもわかりません。
以前、東京のバイク輸入取り扱い直営店で購入してから時々メンテナンスにお世話になってたのですが、雑談で「仮に全部のパーツをそっくりバラバラにオランダから輸入して入れ替えようと思ったら新車で買った方が安いかもしれませんね」という話をきいていました。
直営店のない地域であちこち傷んだパーツを取り換えたらどれくらいになるだろうか。
10万?30万?それとも、さらにかかるだろうか?
ネットオークションで売られているパーツを見ると、小さい物でも数千円からパーツだけで万を超える。チリも積もれば新車が一台買えるくらいになってしまうかもしれない。
最悪、昔買ったバイクのメンテナンス本を久しぶりに見ながら、動くのは期待せずガレージでゆっくりガチャガチャいじればいいかな。
そんなことを思いながら、まず最寄りのバイク屋さんに見せて、どれぐらいかかりそうか、見てもらいに行くことにしました。
朽ちたサイドバックにサビ取りスプレーがまだ生きて残ってたので、ある程度錆に振りかけて、後輪に絡んだサイドバックのスプリングの針金をペンチで切って取り除き、近所で見てくれそうなバイク屋さんに押して行きました。
そこのバイク屋さんで言われた値段は予想とは全く違う物でした。
「まぁどこまでメンテをこだわるかによりますが、私の見立てだとこれ…大体2、3万円位でエンジンかけられるようになるんじゃないかなぁ。購入してから十数年???盗難に遭ってた???ほんとですか???それにしては状態いい方ですよ。」
ガレージに思い出として飾れればいいかな、って思って連れて帰ったけど……
………また乗れる?
………一緒に旅ができる?
こんなに嬉しいことって、ない。
私の長話はここまでになります。
コロナが収まって、また、旅に出れるようになったら、一緒にたくさんの景色をみようとおもいます。
皆さんも、皆さんの愛車と、良いバイクライフを。
聞いていただいてありがとうございました。
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