見出し画像

生きること、それは、本当の自分と出会うため。

病気になって、
もちろん大変なこともありますが、
それ以上のたくさんの氣づきをもらいました。
それは、宝物です。

「今後の生き方が、命に関わってくる」
今の身体の中を知ったとき
「目をそらさず、
自分の身体と向き合おう」
って決意しました。


生きる🟰氣力
死🟰無気力
なんだなって思いました。

倒れた時、
身体から氣力が抜けていって、
死が近づいてくる、そんな感じがして、
とにかく、強烈に怖かった。

そのあと
「悲しい」って思いが湧き上がってきて、
涙がポロポロでてきて、
「死にたくない」って思いと
胸の辺りがじわーっ熱くなって
「親より先に絶対に死んじゃいけない」
その思いが、湧き上がってきて、、


最近、ふと思うんです、
最近の良く分からない事件って
無気力な私たちが、
死の恐怖感に襲われて、
身体は、無意識に
何かエネルギーを入れようとして、

それが、今、
当たり前のように
「怒り、悲しみ、楽しみ、喜び」
表面の欲望を満たすもの
感情を満たすものに溢れているから
それが、当たり前になって

本当なら、
これはやっちゃいけないって
いいか、悪いか判断できるはずのに、
コントロールが効かなくなって
快楽に走ったり、
社会へ怒りや悲しみをぶつけたり、

そして、一番、怖いのが、
いいことをやってるように見えて、
吊るしあげ、でも、これは、
本当は、邪氣かもしれない。

私たちが生きているのは、
自分の中にある
もっと深い、「情」に出会うため
それは、奥底にある本当の自分に出会うため
なんじゃないかなって。


「ものの哀れ」
朽ちていくものの儚さ、悲しみ中からこそ
人間の深い心情、本来の美しさがある。

「侘び寂び」
銀閣寺や龍安寺の石庭など、
私たち日本人は,古来からのこの感覚を
美しいと表現している。
日本を訪れる外国人も、
それを「美しい」って感じるのは、
この感覚を人間誰しもが持っていて、 
日本で、出会うこの感覚を
世界の人も、氣づき初めている
んじゃないかなって思うんです。

でも、悲しいことに
現代の私たちは、 
表面の欲に揺らがされて
この奥の情まで、辿りつけなくなって
しまったんじゃないかなって、、


身体が弱っていって
リアルに死を感じた時
強烈に怖かった。
自分では、どうすることもできず、
涙がでてきて、
じわーっ染み渡る思いが
奥底のいる本当の自分の場所へ
連れて行ってくれたんだと思う。

今まで、なぜか素直になれず、
力がはいって、強がっていた自分から

「ごめんなさい。そして、ありがと。」
素直な自分が、ふわって上がってきて
そしたら、最近、目が澄んできた氣がして、
生きていく中でいっぱい、いっぱい澱んだ目が
赤ちゃんのように澄んだ目と
決意という強さの光。

ずっと深い奥底にいた、本当の自分は、
かけがえのない命の光をずっと、
守ってくれていた。
生きること、それは、本当の自分に出会うため。
ありがとう。

「photo by Kosuke MIki」

いいなと思ったら応援しよう!