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親の子ども時代から私を育てるまでを私なりに振り返る#終

「信仰」で育てられてきた私

当然母もその宗教を信仰している。結果的に私も信仰するようになる。
当たり前とは怖いもので、それが普通と信じて疑わない。

その宗教は「感謝すること」の大切さを説いている。
そして必ず朝夕とある「儀式」を行わないといけない。
私は非常にこれが嫌だった。ずっと座っていないといけないし、つまらないし。でも「良い子」である私はそんなことは言えない。
成長するにつれ、局所局所で嫌だ言ったこともあったけど「誰のおかげでうんぬん・・・」で捻じ曲げられてきた。

複雑な家庭環境で育った両親だったからこそ、「信仰」を拠り所にせざるを得なかったのだろうとは思う。
その結果「信仰」で育てられてきた子どもの私は
何があっても「感謝」しないといけない。
親が言う通りの「良い子」だから、周りとは違う特別な私。
私はおとなしくて良い子だから周りが歩み寄ってくれるはず。
親は人の悪口を決して言わない(と母が自分で言っていた)からクラスメイトのお母さんが誰それの悪口を言ってばかりだから結果その子どもだって悪い。

私たちは信仰してきたから、ここまで順調に進んできた(私の進路も含めて)
私たちは信じてきたから、恵まれた生活をしてこれている。
私が前向きになれないのは、あの時の感謝が足りなかったから。
今の生活が当たり前すぎていて、恵まれていることへの感謝が足りない。
お前が堕ちるところまで堕ちないとそのことに気付けない。
お前が悪い。お前が悪い。お前が悪い。

母から怒られると何かにつけ、上記のようなフレーズと一緒に私を絶望に落とそうとする。私は母から怒られることが、父から怒られることがとっても怖かった。涙を流し、翌日腫れぼったい目で学校に行くことが嫌だった。それをクラスメートが見て言ってくることが辛かった。
弱みを出したくなかったから。一生懸命「我慢」することしか出来なかった。

一生懸命書いている今でも思い出すだけで辛い。

良かったことも一応ある。

一応「信仰」にまみれていて良かったことといえば、墓参りに行く大切さを教えてもらえたこと。
今でも節目には父の墓参りに、シロメガネ一家で必ず行っている。
それには感謝したい。

私の家庭を見て「変だよ」と言ってくれる人がいなかった

子ども時代の悪かったことばかりを書き連ねてきたが、小学生の頃、児童館があったことは救いだった。
あそこでたくさんの友だちと出会い遊び、たくさんの遊びを教わってきた。
学童で仕事がしたいと思ったのもそんな思い出が、まるで埋もれたダイヤモンドのように心の中で光っていたからだと思う。
それにも関わらず、私の家の異常性に気づいてくれる人はいなかった。
(もしかしたら気づいていたかもしれないけど言ってないだけ?)
父が亡くなり母一人子一人になると、ますます外との隔たりは厚くなっていったように思う。
私が苦しんでいたなんて誰も気づいてくれていないだろう。
だって言ってないんだから

普通、お父さんがいなくなったら『私がしっかりしなきゃ』と思ってお母さんを支えるぐらいのことは思うでしょう。あんたはそれどころかお母さんに寄り掛かりすぎる。しっかりしろ!」
「あんたは社会不適合者だから、このまま大学や専門学校に行っても、高校の延長にしかならないよ」
私が悪いから、他の人だってそう思っているに決まってる。
今の私だったら、ありえないと激怒し我が道を進んでやると奮起するけど、当時の私はそのままを受け入れて納得してきた。
だからたくさん「我慢」した。たくさん「諦めた」。
いろいろなことを。

「我慢」で自分を押し込んできたから、何が好きなのか分からない

齢30を過ぎて今更ながら「自分探し」をしている。

多様性ある生き方が叫ばれる今、自分は何者なのかを確立しないといけないんだと周りを見て焦っていたこともあると思う。
色々思うことがあり、まるおが年長に上がったタイミングで食堂のおばちゃんになり、こうして文章を書くようになった。
まるおが小学生になり、私の向かうべき方向がぶれてきたように思えて占いに駆け込んだ。そこで「ライター」いいですよ「ものづくり」に向いてますよ、と言ってもらえたことで、ライター、ひいては「書くこと」について真剣に向き合いたいと思って、「書く習慣一ヶ月チャレンジ」をスタートさせた。
はっきり言って自信はない。このチャレンジを終えた先に見える景色が想像できない。でも「我慢」や「諦め」で「書くこと」を放棄するのはこの先絶対後悔することになるだろうなという想像はついている。

子ども時代に色んな「我慢」をたくさんしてしまったことが癖になり、今でも何かにつけて「我慢」で乗り切ってしまっている自分がいる。
でも、そんな子ども時代とはおさらばしたい。

きっとそれが回り回って、まるおにも「我慢」をたくさんさせてしまっているに違いないだろうから。

大人が思う「良い子」は子どもにとっては「ウザい」

私は間違いなく「おとなしくて」「可愛い」「良い子」だった。
何を言われても言い返すことなく、従順に親の定めを守った。
私は「良い子」だから、クラスメイトはお母さんが言うように「悪い子」ばかり。そんな子になったら大変だ。将来まともに生きていけない。

わがままを言うのは「悪い子」
不平不満を言うのは「悪い子」

親の言いつけを守るのが「良い子」
お金を正しく使うのが「良い子」
今の生活に感謝できるのが「良い子」

大人の目から見たら素晴らしい子だろう。
でも同じ子どもからしたら、なんて鼻持ちならない、ムカつく、嫌なやつだったと思ったに違いない。
今ならば、中学、高校と、私を疎んじてきたクラスメイトの気持ちが少し理解できる。
だからといって、暗黒時代からバラ色に変わるわけではないけれど。

昔はどんな子どもで、どんな生活をしていたか、あらかた吐き出せた気がする。

「過去のこと」を未来に向かうエネルギーに変えていくにはまだ時間が必要

まだまだ苦しい途上にいます。
昔は大変だったという話をすると、決まって
「過去のことばかり言わないで、これからのことに目を向けなよ」と言われるのが大抵です。

分かっている。そんなこと。
でもそう思えるまでに私にはたくさんの回り道が必要で、そこに行き着くまでの猶予が欲しい。
そこにちょっとでも心寄せてくれたら、私はもう少しこの社会で生きていけそうです。

今回の投稿、3回に分けて書いてみました。
400字詰原稿用紙にして約15枚分ほど。大ボリューム。

おそらく、これからも過去のことを思い出しては、とんでもない病み期に入ったり、復活したりを繰り返すことでしょう。その時は、このnoteでありったけのことを吐き出すつもりです。
まだまだ続く「過去」と向き合う私の自分語りに、お付き合いいただけると嬉しいです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
そして、ゆぴさん、このテーマを提供してくださり感謝申し上げます。

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