日々の記録142
まあそうであれば事実として受け止めればいいだけだ。現在地を理解して初めて進むべき道が分かる。
活字に触れるのはなかなかにエネルギーを使う。本を読むという行為は活字から情景や真意などを脳内で変換して理解をすることが求められる。行間を読めるか、ということである。行間は答えがあるわけではないだろうし、実際は筆者の思いというのはあるがコンテンツとして世に出されてる以上想像するのは個人の自由だ、その解釈は読み手個人に委ねられる。その変換作業がある分、エネルギーを使うわけである。そもそもある程度意識を向けなければ同じところを繰り返し読む羽目になる。理解できていなくても勝手に進んでいく動画や音声コンテンツとは違う点だ。
こうして当たり前の事を書き連ねるわけであるけれど、こうして頭の中を活字にして記録することもそれなりにエネルギーを使う。ただ書かねば忘れてしまうのも事実であり、忘れるよりは投資したほうがいいと思うわけである。
文章を読む。文章を記す。活字を扱うことは言語を扱う人間として避けられない運命である。そしてその空間を読むというのもまた我々に求められることでもある。当たり前にできていたことが最近は難しくなってきた気がする。日々の疲れか、それとも動画コンテンツばかり触れてしまった弊害か。もう少々時間と心に余裕を持って触れるものを選びたいものである。
進むべき道はふとした時に目の前に現れるものだ。
また明日。
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にゃーん。