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日々の記録5

仕事のモチベーションがない。これまでモチベーションとして持っていたものが全てなくなったことが大きいし、逆にストレスになるような出来事が重なっているのが苦しみとなっている。こういうのも波があることは理解しているのだが、流石にボトムにいるときはメンタルを保つことで精一杯、アウトプットの質なんて担保できっこないというのが本音だ。これも鍛錬、そして研鑽なのか。

時薬というのはよく効くのであるけれど、本当に即効性がない。これが効き始めるまでは鎮痛剤のような一時的な薬で凌ぐしかないわけである。だが、この鎮痛剤を打ち続けるのにもそれなりにコストがかかるし、切れれば跳ね返ってくる痛みも大きい。とにかくこの鎮痛剤の使い方が肝になる。この鎮痛剤となりうる予定だったり逃げ道だったりがちゃんと持てていたことは今回の良かったところだ。逃げ道は昨日までに述べた通りだし、週末も人に会う予定がある。そのうちに時薬が効いてくれと思ってしまうが、まあまだそうはいかないのだろう。根本にある痛みや今ここにある現実にきっちり向き合わないといけない。

やはり時薬というのはこうやってしっかりと現実を受け止めて強さを得ることであったり、考え方を変えて見える世界や現実を少しずつアップデートしていく作業なのだろう。よくよく考えれば今の私のシチュエーションなんて少し前からほとんど変わっていなくて、1つの大きなパーツが抜け落ちただけなのである。周囲からみれば何も変わっていないだろうし、私だけが気にすることのはずだ。ただこれを補充することは出来ないから別のパーツでバランスを取らなければいけないという事実はある。別のパーツが大きければ大きいほどバランスは取れるし、以前よりそのパーツたちは大きく、強くなったと思う。

考え方というのは非常に大きな影響を及ぼす。些細なことでも大げさに考えればダメージになりうるだろうし、逆も然りだろう。視野を広く持ったり、長いスパンで物事を考えたりすることは目の前で巨大な壁に見えるものを些細なものにしてくれるはずだ。向きを変えればその壁はなくなっていたり、抜け道があるやもしれない。実はその目の前の壁はペラッペラで簡単に壊せるかもしれないし、どこかに階段があって簡単に乗り越えられるかもしれない。行き詰まりの大体の原因は周囲が見えなくなることに起因するのだから。兎にも角にも、壁の前に座り込んでしまっては退屈で何も変わらず、どうしようもない日々を過ごすばかりになるのだ。それが一番辛いだろう。

これで良かったのだと言い聞かせる帰路、やっぱり寂しさだけは拭いきれない。
また明日。

にゃーん。