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日々の記録136

生活に潤いを。ちょっとした贅沢。美味しいご飯でも、気に入った靴でも。そういう自分の機嫌をとれるものがあったほうがいい。そんなのがなくてカラカラに乾いた生活なんてまっぴら御免である。でも、意識しないとそうなりがちなのも否定できないことである。

生きることには理由なんて必要ないのは自明である。与えられた身体を命を全うするまで扱わなければならない。それだけが与えられた使命で、その内容はどうでもいい。でも私たちはそれがどうでもよくないというのが定説で、というより、人間案外理由がないと生きていけないものらしい。

生きる理由というのは辛いことを乗り越えるモチベーションにもなるし、最も簡単な例は自分の子どものために働かないと、稼がないとというものて、何かを成し遂げるにはそれが大きく関わってくるものである。

このために生きてる、というのがいくつかある。無意識にやってきたことだが、そういうのを持てているだけ十分幸せな人間なんだろうと思うわけで。

感覚というのは鈍るものなのだ。
また明日。

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amil
にゃーん。