春がつれてくるものは
突然人が増えて、私はとっても不満だった。
いつもだったら乗り換えに近い一番端の車両に乗ったって、八割の確率でゲートキーパーの場所は確保できたのに。
東京の電車事情は殺伐としている。地元だってラッシュ時には混雑していたけれど、人の波の振り幅がもう少し大きかったように思う。
この時間帯は出勤時間だから多い。その時間帯を過ぎれば空いている。ちゃんと理屈にあった混み具合だった。
東京の人口がいくら多くたって、電車の本数も圧倒的に多いのに、どうしてこんなにホームに人がいるんだろう。
新型コロナが5類に移行予定で、リモートワークが減ったから?
新生活を始める人がいるから?
暖かくなってきて、お年寄りも外出しやすくなったから?
家族で行楽にでも出かけるから?
パーソナルスペースを乱されるのが一番苦手な私は、頭ではわかっていても、人との接触に過敏になってしまう。
だから、我先にドアから出て行こうと前の人を押し退けようとする人、ガチガチに詰め込んだバックパックがコンクリ並に硬い人、高そうなメーカーのワイヤレスイヤホンからびっくりするほどの音を漏らす人が、嫌で嫌で仕方がなかった。
誰も彼もが自己中心的で、電車に乗り合わせる人に好感を持つなんてほぼない。
だから、春先に突然増えた乗客が不快で、不快で、早く皆いなくなれと思っていた。
そうすると、私はある日、混雑のどさくさで誰かに足を踏まれ、骨折をした。
自宅療養をしつつリモートワークをすることになり、電車混雑から一時離脱することになった。
半開きにした窓から入る風が気持ちいい。
骨折した片足をベッドに横たえ、上半身を起こして窓の外を眺めていた。
余計なことを考える暇ができたせいだろうか。今まで気にしていなかったことが気になるようになった。
例年、春先に電車乗車率が急激に増えたように思えても、いつの間にか落ち着いている。
あんなにいたはずの人間はどこに消えるのだろう。
車内では誰もがスマホなどを見ていて、周りを見ていない。だから毎朝顔を合わせているはずの乗客がいなくなっていても、誰も気づかないし気にしない。
私のように、自分以外の乗客を苦々しく思い、「いなくなれ」と願っている者もいるだろう。
もし、積極的に乗客が減るよう動いているやつがいたら?
包帯を巻いた、自分の足の甲をそっと見た。
誰かに踏まれ蹲った私を、障害物のように避けて通っていった人、人、人。
痛みに気をとられて忘れていたけれど、頭上でこう呟いた声を聞いた気がする。
「降りるからって無言で押してくんじゃねえよ」
あのときは、私のことだと思わなかった。だが私が無意識に日常でしている行為ではあった。
誰とも目の合わない車内で、私に不満を持った人がいたのだとしたら。
アイスティーの氷が溶けて音を立て、水滴がコースターを濡らす。
青空は夏のくっきりした色を描いていた。
額を流れる汗が季節のせいかは、わからない。
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