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しょっぱくて、意外と癖になる 4杯目

「ノリちゃん! どうしたの?」
まさか、一旦持ち帰った怒りをどうにも消化できなくてリベンジに? 
「・・・瑞希。うん、・・・ラーメン食べに」
富山は違和感を感じた。らしくない歯切れの悪い態度もそうだが、よくよく観察すると服装がいつもと違っている。常日頃、彼女はきれいめのオフィスカジュアルを好んでいる。しかも身長が低いのを気にして、ヒール以外履いているのを見た事がなかった。大学主催の新入生歓迎遠足で、能古島に行ったときも低めのヒールで来ていたくらいだ。(彼女は“お洒落は我慢”という言葉を信じている。)
それなのに今の服装は、ボーダーのシャツに紺のショートパンツとカジュアルなマリンルックに、なんとぺたんこバレエシューズを履いていた。
「ノリちゃん、そういうカッコもするんだね? 初めて見たぁ。かわいいけど、どうしたの?」
「えっ? いや、なんていうか、その・・・」
ものすごくうろたえている。富山は不思議に思いながらも席を案内することにした。
「今ちょうどお客さん誰もいないから、どこでも座っていいよ。座敷にゆっくり座る?」
「ああ、うん・・・ありがとう。でも、四人席に座るのはなんか悪いから、カウンターでいいよ」
ノリコは落ち着きなく答えると、カウンターの、それも野口の目の前に座った。
野口が彼女の方へ目を向ける。
「ああ、ノリコサン。いらっしゃいませ」
いつも通りの抑揚のない口調だ。
「・・・どうも」
ぼそりと返事をして彼女は下を向き、富山が出したお冷で喉を潤した。沈黙が流れ、富山は首を傾げつつ様子を伺う。
先ほど揉めたはずの二人から、怒りのオーラは出ていない。野口にしろ、ノリコにしろ、彼らが怒ったときはなかなかの攻撃力を誇る。それを身を以て知っている富山はこの状況が嵐前なのか嵐後なのかの判別がつかず、ダスターを手で弄んでいた。
「ご注文は?」
野口が聞くと、弾かれたように顔を上げる。
「あっ、ラーメン・・・ください」
「麺のかたさは?」
「・・・普通で」
「それだけでいいですか?」
「じゃあ・・・ビールもください」
「はい。富山。オーダー聞いてたか」
「はいっ! 勿論っす!」
二人の様子を眺めていた富山は、急に話しかけられ、思ったよりも大きな声で返事をしてしまった。野口にしっかりと睨まれた後、ノリコに瓶ビールとグラスを持っていく。
「はい、ノリちゃん。お注ぎしますねー」
にこにこと、ラベルを隠さないよう気をつけながら注ぐ。
「すごい瑞希、ちゃんとラベル見せながら注ぐんだね。偉いねえ、お水なれるんじゃない?」
「えへっ、ありがとう。これはね、お客さんにビールメーカーの人が居て、こういう風に注いでくれると嬉しいって言ってたから、そう努めるようにしてんの」
「へえ、そんな話もするんだね、お客と」
「うん、ラーメンは国境を越えるってやつよ。あっ、でもね、先輩は私にお水向いてないって言うんよ。そんな事ないよねぇ」
ノリコと話し始めてリラックスしてきた富山は、いつも通り調子に乗り出した。
「お前はしゃべり倒して、お客にビールを飲ませないつもりなのか」
言われてみれば、彼女はまだ一口もグラスに口を付けていない。泡もなくなっていた。
「あっ! ごめんノリちゃん。どうぞどうぞ、ぐいっといっちゃってください。あ、ウチの辛子高菜美味しいから、よかったらビールのつまみにどうぞ」
小皿に少し取り分けて差し出す。ノリコはグラスに口を付けたかと思うと、一気に四分の三飲んだ。
「あー。今日喉渇くよね、乾燥してるのかな」
彼女はお酒が大好きで、本当に美味しそうに飲む。そしてたくさん飲む。家で一人で飲んでいるときは酔っ払ったりもするらしいが、飲み会など人が大勢いる場所で酔った姿を見た事は一度もない。富山は飲み会の雰囲気が好きなのでよく顔を出すが、弱いのでいつもノリコに介抱してもらっているくらいだ。
どんどん飲むのでその度に注ぐが、三回目になると不安になった。
「ねえ、ノリちゃん。もうすぐラーメン出来上がるよ?」
ノリコはお酒はたらふく飲むが、飲むときはほとんど食べない。今つまみにしている辛子高菜くらいが丁度いいのだ。
「そうだね、つい美味しくて飲みモードに入るところだった。危ない危ない」
ガラリ、とお客が入ってくる音がした。
「いらっしゃいませーー!」
元気よく振り向くと、いつぞやの、野口に暴言を吐かれて富山と意気投合したサラリーマンが立っていた。
「あーー! 来てくれたんですか?」
思わず歓喜の声を上げる。
「いや、この前は面倒くさい思いさせちゃったかなと思ってさ。ごめんね」
照れくさそうに謝罪し、そのまま帰ろうとする彼を引き止めカウンターに通した。
「こちらこそこの前のお詫びしなきゃ。ねっ、先輩。今日は先輩がラーメンをおごりますから!」
出来上がったばかりの豚骨ラーメンを、カウンター越しにノリコに渡しているところだった野口は、一瞬険しい顔になった。だが、「ああ」と短く答えると厨房の奥に引っ込んだ。
「え、ほんとにいいの? というか、彼が作るの?」
若干不安そうな表情を見せたが、富山の満面の笑みを見て安堵したらしい。
「じゃあ、ご馳走になろうかな。宜しくお願いします」
「はいっ!」
「胡麻たくさん入れてもおいしいよっ」
二席隣のノリコにご機嫌でアドバイスし、厨房へ入る。足取りは体型を思わせない程軽い。
野口は富山が近づくと軽く舌打ちした。
「何を勝手にやってる」
憎まれ口を叩くが、彼に出すラーメンを作り始めている。それを見た富山は、顔いっぱいに笑みが広がった。
「先輩ったら、照れ屋さん! “ああ”だなんて、超クール! 先輩にも血が通ってたんですね、私は本当に嬉しいです!」
「・・・チャーシューとして生まれ変わらせてやるから、あの鍋に飛び込め」
「もう、素直じゃないんだから!」
厨房でガチャガチャと二人がやっているのを、ノリコは黙って見ていた。
出されたラーメンを食べ始めてはみたものの、もう胃にお酒以外入りそうになかった。半分以上残っている。少しでも少なく見えるよう、レンゲでスープを飲むが、塩辛さが喉に残ってビールを欲した。そうするとさらにお腹がふくれる。
麺がのびるまえに食べたいと思うが、箸がのびない。
「なにやってんだろ・・・」
ノリコは、情けない気持ちで足元のぺたんこ靴を見ていた。


<登場人物>
・野口良介 「彦一」のアルバイト、接客態度に問題あり
・富山瑞樹 「彦一」のアルバイト、豚骨ラーメンをこよなく愛する
・日向井修一 「彦一」オーナー、多趣味なテキトー人間
・崎村ノリコ 富山の友人、派手な見た目だが真面目

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