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ヒーローたる所以
「きみ、もしかして佐山くんじゃない?」
たくさんのぎこちない新入社員が混じった雑踏の中、僕は朝の駅前で声をかけた。
「違いますけど?」
佐山くんは僕の方をチラッと見ると、顔を逸らして答えた。
「え、佐山くんだよね? 僕がきみを見間違えるはずないもの! 久しぶり。覚えてるかな、僕のこと。中学校で一緒だった志村です。出席番号が後ろの!」
「……いや、違いますって」
「そんなはずないよ! きみは佐山寛くん! 丸々中学校二年四組、出席番号7番! 高校を中退したあと、二歳年上の女性と結婚して一児をもうける。でも今は一人暮らし。アパートの更新が迫っているけれど、費用を捻出できないでいる」
プライベートを朗々と告げる僕に、佐山くんはやっと、ただならぬものを感じたようだった。
「は? あんた借金取り?」
「違うよ! 言ったじゃない。中学の同級生、志村です」
「ただの同級生は人の半生を調べたりしねえよ」
「だってきみはただの同級生じゃないもの!」
彼は呆れ顔で、片方の口角が無意識下か少し上がっている。その表情は何もかもを諦めきったような顔で、僕は絶望と興奮が体に満ちるのを感じた。
「じゃあなに」
「きみは僕のヒーローだ!」
「……」
わかっている。わかっているよ、きみのことならばなんでも。あれから僕は情熱を懸けてきみを追いかけた。そして、僕の永遠たるヒーローを助けられる立場と実力を手に入れた。言わば僕はきみの相棒!
「覚えていないのも無理はない。僕はあの頃、誰かの印象に残ることが難しいほど普通の子どもだった。でもきみは、誰もが忘れられない人だった。羨ましくてね。嫉妬した。正直、憎いと感じたこともあったよ。僕もきみのようになりたいって。……あれは結局、強烈な憧れだったんだ」
一気にまくしたてたことで、僕の息は少し上がっていた。頬も紅潮しているのがわかる。
「満足したかよ」
「え?」
「俺が落ちぶれてて満足したか?」
「……わかるよ。でも違うんだ。僕はきみに求めているのはそんなことじゃないんだ!」
彼が僕を見つめる様子はあの時から変わっていない。なんて懐かしいんだ。
でも、変だな。なにか忘れている気がする。……いや、僕が気づいていないことがあるのか?
「じゃあ、なに」
「僕は恩返しがしたい。あのとき僕を救ってくれたきみに! 今僕は、きみが望むことをたいてい叶えられる立場になった。だから来たんだ! さあ、言ってくれ!」
「なにを」
「僕に望むことだ! きみの望みを叶えたいんだ。言ってくれ。僕はそのために頑張ってきた」
僕は破格の申し出をしているはずだった。もうすぐ喜色満面の笑みが見られる。もしかしたら涙さえ浮かべるかもしれない。僕に感謝する姿を想像すると、今か今かと期待ではちきれそうだった。
「じゃあ、そこから退いてくれ」
「え?」
「お前がそこに立っているせいで掃除が終わらない。俺は早く仕事を終えて帰りたいんだ」
彼の表情は、僕の申し出前からなんら変わっていなかった。聞こえなかったのか?
「いや、佐山くん、実はね、僕はあれから起業して成功してね。スタートアップ界隈ではなかなか評判なんだ。それに妻は、あ、これは後から知ったんだけど、政財界の大物の娘でね、お義父さんがあちこちに顔がきくんだ。だから、例えばきみが行きたい企業があれば口をきくこともできるし、もし僕のところで働きたいというなら役職付きで迎える用意だってある。まとまった現金がいるってことなら用立てるよ、あの頃のお礼だと思って受け取ってほしい」
笑ってくれ。僕はきみの喜ぶ顔が見たいんだ。
「あ! 女性を紹介することもできるよ。妻の友人はいい人たちばかりでね。教養のある人たちだから、きっときみも、話していて楽しいよ……」
どうしてだ?
僕が提示した材料は決して悪いものじゃないはずだ。なのに、彼の眉間によった皺が気になって、言葉が上滑りしているのがわかる。だからどんどん僕の声は小さくなっていく。
「なあ、俺の望みを叶えてくれるんだろう?」
「っああ! もちろんだ! 言ってくれ」
「だから、そこから退いてくれ」
僕は絶望で、顔から血の気が引くのがわかった。
「……佐山くん」
二の句がつげないでいる僕を眺めた佐山くんは、ため息をついた。
「お前がなんでそんなに俺になにかしたいのかわからんが、一応善意で言ってるんだよな? ……けど、俺はなんにもほしくない。だから、そう言われても困る」
このときの気持ちをどう表していいかわからない。
僕はあの頃の自分が嫌だった。名前を間違われるのが、早退したことに気づかれないのが、いてもいなくてもいいと思われているのが嫌だった。だから、成功しようと思った。みんなが羨むような人生を手に入れるんだって、僕も佐山くんみたいになるんだって。
「中学のことなんて昔すぎて、もうほとんど覚えてねえしな」
佐山くんの現状を知って、笑わなかったと言えば嘘になる。努力して、努力して、憧れを超えたと思った。勝ったと思った、けど──。
さっき覚えた違和感の正体がわかった。
僕を見る目が変わっていないと感じたのは、彼が変わっていないという証明じゃない。あの頃から僕が変わっていないという証明なんだ。
「そう……、仕事中に、邪魔して悪かったね」
口元だけ無理やり上げて、脇にどいた。
彼は僕がいた場所をささっと掃くと、背を向け去ろうとした。
だが一歩を踏み出すのを止まって、こちらを振り向いた。
「今日のことは忘れねえよ。朝っぱらから同級生と名乗る男が、俺の半生を大きな声で要約したんだからな」
「……ごめん。興奮してしまって、つい」
「じゃあな、志村」
僕の名前を呼んでくれたことに驚いて彼を見ると、さっきの皮肉めいた笑みとは違う、あの頃と同じ笑顔を見せてくれた。
「あっ、また明日!」
「は?」
言い間違えたと慌てて訂正すると、ひらひらと右手を振って彼は今度こそ去った。
あの頃、僕はこんな風に下校の挨拶をしたかった。
「今さら叶うなんてなぁ」