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編みキノコ 寄生小説 「犬とキノコ」(短編)
自分の頭からキノコが生えているのはいったいいつからだろう。
犬は考えた。
少なくとも物心ついた時分にはすでに生えていた気がする。
でも犬はキノコが生えていても飼い主に可愛がられていたし、友だちの犬たちも仲良くしてくれていたので特に気にすることはなかった。
そう、今日までは。
今朝、いつものように心地よい眠りから目を覚ますと、なんと、頭上のキノコが語りかけてきたのだ。
「すいません。犬さん、目をお覚ましになられたでしょうか?まだお眠りでしょうか?すいません」
まさかキノコが喋るとは思わず、どこから声が聞こえてくるのだろうか、と犬が不思議そうにあたりを見回していると、慌てたような声でさらに喋りかけてくるではないか。
「犬さん。あなたの頭の上のキノコでございます。間借りしている貧相なキノコでございます。こんな私があなた様に語りかけるなど不遜なことだとは存じておりますが、お伝えしたいことがあり、つい声を出してしまった次第、ご勘弁くださいませ」
犬は驚いた。
このキノコはしゃべるのか。
「驚きになられるのも仕方がございません。なにせ普通のキノコというのはめったに喋らないものでございますから」
illustration : mina chape ( http://www.minachape.com/ )
犬はキノコと向き合おうとしたが、それも無理な話、しばらく首や目を動かしていたのをあきらめた。
「それで、いったいなんだというんだい。僕に伝えたいということは」
「あいすいません。わたくし、ずっとあなた様の頭の上に生えておりますが、とてもこの場所を気に入っております。時には胞子をまき、時には傘をひらきながら快適に過ごしておったのですが、最近になって気づいたことがございます」
犬は自分の頭の上が心地よいと聞いて少しいい気分になった。
「ふんふん。何に気づいたというのかね」
「それが、どうやら、長年あなた様の頭上に生えておりますせいでかと思うのですが、あなた様の考えや行動に私が介入しているようなのです」
「それはどういうことかね」
犬は意味がわからずにさらに質問した。
「つまりですね。私が右に行きたいな、と思うとあなた様が右に行く。私が左に行きたいな、と思えばあなた様は左に行く。と、そういうことなんでございます。つまり、だんだんと私があなた様を操作するようになってきているようなのです」
犬は、オーマイガッ!、と思った。
「……たいへん申し訳ございません」
しばらくの沈黙の後、そう呟くキノコからは悪意が感じられず、犬は鼻を鳴らした。
「……君は好んで僕を支配したいというわけではないということかい?」
「もちろんそうなのです」
編みキノコはすかさず答えた。
聞いてみれば、犬の頭の上が心地よくて、ずっとこのままでいられれば良いのにと思っていたという。
「でもこのままではおそらくあなた様の身体を乗っ取ってしまうことになりましょう」
その言葉を聞いて犬は身震いした。自分が自分でなくなるなんておそろしい。もしそうなったら飼い主の坊ちゃんや嬢ちゃんと遊んでいても楽しくなくなってしまうのではないだろうか。
「でも僕は、僕の意思に反してだんだんとあなたの意識と身体に介入してしまうのを止められないのです」
「何とかならないのかい」
犬は情けない気持ちになりながらそう聞いた。キノコに乗っ取られて自分が犬としての人生を終えるなど想像したこともなかった。
「かくなる上は飼い主の方や散歩仲間の犬の皆様に私をもぎ取ってもらってくださいませ」
そう言う編みキノコに、犬は驚いた。
「でもそれだと君はどうなるね」
「私は一介のキノコでございます。昔から『胞子あればすなわちキノコあり。キノコあればすなわち胞子あり』などと申しますからもぎ取られし後、我が身が一握の胞子粉塵となりはてましても世界にとりましてはそれは私がおりますのと同じことでございますゆえ」
「ちがうちがう。君という存在のことを言っているんだよ」
「私のことでございますか?それは残念ながら、いまこの私のままというわけにはございません。一握の胞子となりました後には多くの子孫が生まれるのみで私という存在はいなくなってしまいます」
「それはいけないよ!」犬は怒った。
「いくら俺を助けるためとはいえ、君がいなくなってしまうのはいけない。だって、話し合ったのは今日が初めてだけれど、君と俺とはずいぶん長い付き合いじゃないか」
犬がそういうと、編みキノコの傘が開き、ぼふんと胞子が空に舞った。
犬にはそれがどういうことかわからなかったが、何回かぼふんぼふんと胞子を撒き散らすのを見て、ああ、キノコなりの感情表現なのだ、と思うことにした。
「でもどうしましょう、それではそのうちにあなた様の体と心を私が乗っ取ってしまいます」
編みキノコはさんざっぱら胞子を撒き散らした後、そう言った。確かにその通りである。
「こうなったらしょうがない。いちど腰をすえて考えてみよう。なあに、明日そうなってしまうわけでもなし、まだ時間はある。だいいち、1人じゃない。君と俺と2人で考えれば良い考えに行きつくかもしれないじゃないか」
犬がそう言うと、編みキノコはまたぼふんと胞子を撒き散らした。そんなに胞子を飛ばしたら体の他のところからキノコが生えてきそうだな。犬はそう思った。
「それじゃあまず色々と整理しよう。君たち編みキノコ界では、こういうことはよくあるのかね」
「いいえ、私どもの世界でもこんなことは聞いたことはありません」
「おかしい話だな。それではなんでこんなことになってしまったのだろう」
犬がそう言うと、編みキノコは言いにくそうにおずおずと小さな声を出した。
「……申し訳ないのですが……おそらくそれは私のせいなのです」
「君のせいだって?そんなことはないだろう。だって君は俺のことを支配したいなんて思っていないって言ってたじゃあないか」
「……それはその通りなのでございますが……」
「なにか言いにくいことがあるようだね。遠慮なく話すといい。さっきも言った通り、長い付き合いじゃないか」
「……それでは申し上げますが……意地汚い話ですが、私にも欲望というものはございます。キノコにも欲というのはあるのでございます。長いことあなた様の頭上に生えておりましてとても心地が良かったのですが、ときにその欲というものに突き動かされるということがございました」
キノコの欲望!
犬はその語感に一抹のセンスオブワンダーさえ感じたが、よく考えてみればキノコに欲があるのはなんら不思議な話ではない。
「それはどんな欲なんだい?」
「恥ずかしい話ですが、たとえばあなた様が散歩によく行かれる林にベニテングタケなどが生えておりますと、ああ、美しいベニテングタケだ、近寄りたいな、などと思ってしまいます。また、可愛らしいアンズタケなどが見えますと、ついつい、そばに寄ってみよう、などと思ってしまうのです」
ああ、それでか!
犬は長年の謎が解けた思いだった。
どうりで散歩中に好きでもない毒キノコの前に行ってしまうわけだ。
編みキノコは消え入りそうな声で話し続けた。
「……おそらくその私の欲望が強すぎるのでございます。私の菌糸が私の欲望の強さに対応して伸びていき、あなた様の神経組織に絡みついたのでございます。ああ、こんな私はもぎ取られるのが当然でございます。さあ、ポキリと」
「待ちたまえ待ちたまえ。話はわかった」
犬は慌ててそう言った。
「もしそうだというならこういうのはどうだろうか。俺の散歩の時間の半分を君にあげよう。その時はすきに僕の身体を使うといい。というよりも、俺はその時間、君になろう。それで欲望が満たせれば今より菌糸が脳にからみつくことはあるまい。これから仲良くやろうじゃないか。家で一人でいる時も話し相手ができて嬉しいよ」
「こんな欲だらけの私にそのようなお言葉、もったいのうございます」
「いやいや、そうするとよい」
「とんでもない、私のような欲深いキノコにそのような優しいお言葉は不釣り合いでございます」
「何を言っているんだ。俺がいいと言っているんだ」
「……本当に良いのでございますか?」
「もちろんさ!」
「なんという素晴らしきお心!あなた様は最高の犬でございます」
「そんなことはない。僕らは友達だ」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて、散歩の時に素敵なキノコを見かけたら寄らせていただきます」
「そうしたまえそうしたまえ」
「ベニテングタケにもアンズタケにも寄らせていただきます」
「そうしたまえそうしたまえ」
「それらキノコたちを思う存分なめ回すのが夢でございます」
「それはやめてくれたまえ。命に関わることだから、決してやめてくれたまえ」
「では2、3回なめるだけでやめさせていただきます」
「決してやめてくれたまえ」
「本当にありがとうございます」
「おいおい、決してやめてくれたまえよ」
それから、犬とキノコは仲良く暮らしたそうな。
その後について、聞いたところによると、犬もキノコも充実した一生を過ごしてから輪廻転生して人間になったという。
かたやシャーロックホームズ、かたやワトソンという名で幾つもの難事件を解決したというその武勇譚はコナンドイル氏の記録に詳しくでているとのこと。
さて、犬とキノコのどちらがシャーロックホームズでどちらがワトソンか、それは誰にもわからない。こんど編みキノコたちに聞いてみようと思う。
<終劇>
illustration : mina chape ( http://www.minachape.com/ )
編みキノコ会議 横山起也
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