人生の長さについて
高校時代に、クラスメイトに「何歳まで生きると思う?」と聞かれたことがある。
何でそんな質問するんだろう、ずいぶん無神経な、と後になって思ったが、何の気なしに50歳かな?と回答した。
質問した彼女は、25歳と答えていて、悠々とその年を越えた。
もう1人の友人は、75歳と言ったような気がする。
相当期間忘れていた質問だけど、40代になってから、その言葉を思い出すようになった。
言霊というのはやはりあるのかもしれない。
質問した人は覚えていないだろうと思うが、自分が言った言葉に自分が縛られていたのかもしれない。
なんとなく、そのことが気になっていた。
何とか50歳は越えることができたが、あと1ヶ月で51歳になる時、自転車が濡れた段差で滑り、腰椎圧迫骨折をした。
非情に痛い思いをしたけれど、学ぶことも多く、自分には必要な経験だったのかもしれない。
そのおかげで、生き延びることができた気がする。
現在53歳で、他の病気を自己治癒力で治そうとしているところだ。
数年前に父の死に接したことと自分の病気の関係で、死というものがかけ離れたものでなく、身近になった気がする。
父が亡くなった後で仏壇を購入し、毎日線香を供え、手を合わせていることも関係しているのだろう。
だが、同い年の有名人が亡くなると、つい気になってしまう。
わたしが大学に入学した直後には、女性アイドルが自殺した。
30代半ばで、女性歌手2人が病気で亡くなった。
大学入学したばかりの時は、受験がやっと終わった解放感と新しい環境に入ったドキドキ感(友人はできるだろうか、など)が混ぜこぜの状態だった。
でも、このニュースには非常にショックを受け、今でもその時のことをなんとなく思い出すことがある。
この年の終わりからバブルが始まったが、そんな能天気な感じではなかった。
30代半ばの時期は、恋愛に失敗し、会社も辞めて、そんなにいい時期ではなかったような気がする。
しかし、失恋で大切なことも学んだ時期だった。
それらの時代に比べると、今のほうがよっぽど幸せな気がする。
収入は以前よりは減ったが、仕事の裁量権が増えたし、植物に水をあげたり、要介護の母がいたり、自分が必要とされる機会が増えた。
若い時は自分のことばかり考えていたが、トイレの床にごみが落ちていたら拾う、インターネットで質問している人に回答する、など、自然と人を助けることで、自己肯定力も強くなった。
病気をしてからは、ストレスのかかることもなるべく避けようとしているので、前より楽になった気がする。
例えば、道をすれ違う人が発する言葉が気になることがあるので、ウオークマンで話し声が聞こえないよう、防御するようになった。
自転車に乗っている時は危ないので、片耳だけにイヤホンを入れている。
昔は人の反応ばかり気にして言いたいことも言えない人間だったが、なるべくためずに、その場で発散するようにしている。
ここ数年、身体にもため込まないようにしていて、便秘はめったになく、体重も10Kg以上減ってリバウンドもない。
年を取ると圧倒的に生きやすくなるので、長生きは良いものだと思う。
昔だったら気になったことも、些細な事ならば気にならないようになってくるし。
変化するのが面白い、と感じられる人にとっては、年を取るのって楽しみでしかないかもしれない。
わたしは30代の終わりか40代になってから、ことわざを実感することが増えたし、お寺の標語を見かけては、いろんな気づきを得ている。
コマーシャルを見ていると、年を取ってしわが出たけど、これで解消、などマイナスイメージのものが多いが、若い人に年を取る素晴らしさを伝えるメディアが出てくればいいのにと思う。
メディアはショッキングな報道をして視聴率やPVをあげるから、煽情的なものに乗せられないよう、情報は選んだほうが良いだろう。
ウェルテル効果にはまってしまう人もいるかもしれない。
人生の長さは、もちろん寿命も関係あるが、どれだけ力を使い果たしたか、今生でやり残したことはないか、などによっても決まると思う。
死は人生の卒業とも言えるので、やり尽くした人ならば、おめでたいことかもしれない。
なかなか、そういう風には思いにくいけれど。
父の四十九日の時にお坊さんに聞いたが、亡くなると肉体から魂が抜け、思っただけでどこにでもすぐ行けるようになるそうだ。
53歳が若いのか若くないのかわからないが、わたしはここ数年で相当学んだと思うし、これからも学びたいし、学ぶ必要がある。
だから、まだまだ生きていきたい。
本人が思い込む力は、相当強い。
落ち込んだ時も、「大丈夫大丈夫」、「頑張れ」とアファメーションしたり、昇る太陽や沈む太陽に感謝したり、サイクリングやウォーキングで気分転換を図ったりしながら、何とか1日1日を過ごしてゆく。
個人的には大器晩成タイプだと思っているので、何か自分ならではの貢献ができるよう、努力していきたい。