自分を待とうと思えるようになった。
20240422.
先日、地域の方たちとの集まりがあって参加したのですが、小学生の子達と仲良くなって一緒にシャボン玉をしました。
みんな、きらきら。
あたたかくて爽やかな、
やさしい時間でした。
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いつからか、自分のことが待てるようになった。
自分を待とうと、思えるようになった。
不安定でもどかしい時間を。気持ちを。
私の心からの声を。
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心が不安定になったり、落ち着かなかった4月、新しい環境へと変わるその直前。ある人が、こんな言葉を私に贈ってくれた。
"今しか味わえないもどかしさも、
これからへの期待も味わい尽くしてください"
その言葉を受け取ったとき、すごく心が軽くなった。不安定でもどかしい時間も、味わい尽くせばいいんだ。この気持ちも今しか無いものだから、そんな気持ちも全て、全て大事に、抱きしめればいいんだ。って。
そんな、不確かで揺らぐ気持ちも大切にして、その気持ちがあったからこそ、今この瞬間があるように、いつか何かに繋がるそのときまで。この気持ちを抱きしめて、待とうと思えるようになった。
今すぐに、答えは出なくても、大丈夫。
必ず、その瞬間はやってくると思うから。
ゆっくり、のんびり、待ってみるのもいいのかも。そう思えた。
自分の心に素直に動く波に乗せて。
ゆらりゆらり。
待つことも、悪くないのだと。
そう思えたら、ふっと、楽になった。
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私は、話すことが苦手だった。
それは今も変わらないのだけれど。
というのも、文章だと、書いては消して、言葉を並べ替えて。最終的に整った文章として相手に届けることができるのだけれど、話すときにはそれができないものだから、話すことが苦手だった。言葉が出てこない自分を、本当の自分の言葉が出るまでの時間を、待てなかった。
だけどやっと最近、自分のペースで話せるようになった。そうなれたのも、私の言葉を待ってくれる人がいると、知れたから。自分のペースで話す心地良さに、気づいたから。
そんな自分のペースはと言うと、話すときに頭の中で言葉をいくつか並べて、1番適切なものを見つけて、掴んで、これなら伝わるかなあって、考えて。それからやっと口に出すものだから、なんせ時間がかかる。かかるのだけれど、それが私には合っていて、それが私の言葉となった。
それでもまだまだ、話すことを失敗もするときもあるのだけれど、そんな自分も許してあげたい。
以前は、話すことを待ってくれない人ばかりだと、自分でそう思い込んでいて、早く、早く、伝えないと。そう焦っていた。そういう人たちばかりだと思っていたから、私は私の言葉で話すことを、諦めていた。
けれど、諦めず自分の言葉で話したとき、私が思っていた以上に、私の言葉を待ってくれる人がいることを知った。
出逢った全ての人を大切に、そして愛すことはなかなか難しいものだから、私の言葉を待ってくれるそんな人たちを、まずは1番に大切にしようって。そう思えた。
そういう人たちの前では、私の好きな私でいられる。私の好きな私でいられる人が、私は好きなんだと、そう気づいた。
そんな人たちのおかげで、自分の本当の言葉が出てくるまで、待っていいんだと思えるようになって、私は私の心からの声を、ゆっくりと、待てるようになった。
気持ちも、時間も、声たちも。
待っていると向こうから、私を見つけてくれるように、光を与えてくれる気がする。その瞬間を、待ちたい。待とう。そう思えるようになった。
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小学生の子たちが教えてくれた。
何気ない日が、こんなにも美しいということ。
明日も、明後日も、これからも。
あたたかな日になりますように。
美しい毎日となりますように。
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