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誰かに伝える。ということは誰かに伝えないということ。
20250117.
今日は久しぶりに外で食事をしました。
屋台のような感じだったので寒さもありつつ。
寒い中食べる味の濃い料理も、なんだか美味しかったです。
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デザインの本にこんな言葉が載っていた。
「誰かに伝える」ということは「誰かに伝えない」ということだと。
その本のページには、若い世代に向けたフライヤーデザインの作例が載っており、文字の大きさを小さくし、余白を上手に使ったデザインが紹介されていた。小さな文字は年齢層の高い人だと読みにくいため、"若い世代"という伝えたい人を絞ったデザインだと伝わってきた。よって誰かに伝えるということは、誰かに伝えないことだと。そういった趣旨の言葉だった。
デザインを学んでいた大学時代、先生にもよく言われた言葉がある。みんなに届けたいは、誰にも届かないよ。と。頭の片隅でずっと覚えている。
深く共感する。それはデザインだけのことではなく、生きる上でも同じだとわたしは感じている。それは生きていく中で少しずつわかってきたことでもあった。
誰からも好かれたいは誰からも好かれず、
誰かみたいになりたいは誰にもなれなかった。
そんなことを身を以て感じてきた。
はっきりとした答えがない曖昧な世界を生きているかと思いつつ、こんな極端な世界でもあるのだと。生きることも難しいはずだよなあと。ひとりで納得をした。この世界の仕組みに気づけば気づくほど考え悩むことも増えていく。気づいた方が幸せなのか、気づかない方が幸せなのか、わからないけれど。
でも、だからこそ。諦めて自分を生きた方がほんとうに大切な人と出会えることもわかった。同じ孤独を生きる、仲間。のような人。
自分と同じ孤独を生きる人が「自分はここにいる」と、ささやくように遠くで小さく光っている。自分を生き始めた瞬間に、遠くで生きる仲間の小さな光が見え始めたように思う。
そんな仲間を見つける旅はまだまだ続く。
みんなに好かれなくても、みんなに届けようとしなくても、ひとりでも。本当に大切な人と出逢い、大切な気持ちを届けられますように。と。この文章を書きながらそんなことを願う。不特定多数のみんな。に伝えないことで、確実に伝わる誰か。がいるとそう信じて。
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お家でのご飯も、たまにの外食も楽しみつつ。
最近は食と身体のことに興味があって勉強中です。
心にも身体にもいいものをつくりたいし、自分にも
取り入れたいなあと。そんなことを思うようになった最近でした。