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「してあげたこと」はその場で忘れる
20220126.
入ってくるお金は毎月一定なのに欲しい服はどんどん増えていく…。大変だ〜。大好きな服を着て出かけられる休日が毎週の楽しみです。そして実家に帰ると母に言われるお決まりのこの言葉。「また個性的なの着てるね〜」
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年が明けてもうすぐ1ヶ月が経ちますが、今年はどんな年にしようかなあ、どんな人であろうかなあ。なんて考えていたときに、「あ、私は今年こんな人になりたい!」と、びびっときたものがあったので、そのことについて。
この本に書いてあることにもリンクしたので、書いてある言葉をお借りして。
「見返り」を期待すると、自ら「見返りを得られない苦しみ」をつくることになってしまいます。そんな嫌な思いをしたくないなら、やってあげたことはその場で忘れるに限るのです。ただし自分が親切やお世話をしてもらったなら、感謝の言葉を返すことをお忘れなく。そして「何かのときに相手の力になろう」と強く心に誓い、実行する。
「人に与えられる人」私がなりたい姿です。
「見返り」を期待すると、自ら「見返りを得られない苦しみ」をつくることになってしまいます。学生の頃まさにこれを経験しました。友達に誕生日プレゼントをあげたのは、ただただ喜んで欲しかったから。だったはずなのに、自分の誕生日にその人から何もないとやっぱりどこか寂しく、少しもやもやした気持ちになったのが正直なところです。
今考えると、「相手に喜んで欲しい!」という気持ちのそばには「これだけやったんだから相手も何かやってくれるだろう」と、心の奥で期待をしていました。
「受けた恩は石に刻み、与えた情は水に流せ」こんな言葉もあるそうです。
やっぱりどこか期待してしまう気持ちも出てくるとは思っていますが、見返りを求めない考え方を自分の心に持っておくことが大切なのかもな〜、と感じました。
私が思うのは「与えられる人」は「都合の良い人」ではないということ。自分の意思で動いているか、人の指示で動いているか。この違いだと私は思っています。相手に与えたいものがあるから、自分が動く。自分で動く。そうありたいです。
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相手に愛を与えられる人、今年は目指してみようと思います。
1年後、2022年がどんな年で、どんな自分であったかを振り返るのが楽しみです。