他者否定やりがち〜!
最近、私はフラメンコの発表会でソロを踊るための練習に没頭している。
没頭といっても、練習後に頭の中で注意された事を確認したり、家事の合間に公園で練習するくらいだ。
でも自分の中でその意識が高まっているのは感じている。
いつもは人の事は気にならないのに、昨日のレッスンでお扇子(フラメンコではアバニコという)を持って踊っている時にぶつかってしまった方がいて、もう少し前で踊ってくれればいいのに〜と私は思った。
ほんの些細な出来事なのに、なんかそこからモヤッとした気持ちが自分の中に湧いてきた。
なんかあの人いつも自信なげで、仲良しのNさんにくっついているなぁ〜とか。
そんな気持ちの "小さなモヤッ" を抱えたままだった私は、一晩寝てもまだ清々しくはなっていなかった。
で、いつもの真未さんのライブ配信。
なんとタイムリーに他者否定のワーク。
その前の自己否定のワークはあまり私には響かなかったけれど、今回の他者否定はめちゃめちゃ響いて耳が痛い。
自己否定も、自分でしている感覚がないくらいに巧妙に隠されていたようで、よーく自分を観たらやっぱりしているんだよね。
私はいつも高みをのぞんでしまう。
悟りを開きたくなったり、完璧に踊りたくなったり。
でもそれは、「なりたい!」と思ってなるんじゃなくて、いつの間にかなっていたね♪って感じなんだと思う。
フラメンコの足の音は、身体の筋肉を使うというより、正しい姿勢で脱力して打つ。
ある意味、東洋思想の中庸なんだ。
力んでいたら無理なわけ。
かといって、ダラダラしているのとも違う。
人にモヤッとして、こうしたらいいのに〜とか感じちゃった時は、本来の自分とズレている時。
人のことより自分のこと。
真未さんが、分かりやすい例えをしてくれたよ。
自分の庭をキレイにしたからといって、隣の人の庭まで雑草をとってあげたら、雑草だと思っていたのが野草で大事に育てていたものだったってね…💧
まぁ、ズレちゃう私も、分離意識使っちゃう私も、おせっかいしがちな私も否定せずに愛しちゃお〜♪