新プロジェクト始動
【暮らしの学校】はじまります!
これまで
逗子にある映画館CINEMA AMIGOのオープン以来10年以上
”季節のワークショップ”と題して、味噌仕込みやクリスマスのためのミンスパイ作りなどの季節仕事を
南葉山と呼ばれる秋谷のc:hord hayama では
”レシピのない料理教室”と題して、気楽にできる季節ごとの料理のヒントを提供するクラスを開催。
そうやって’食べる’ことを通じて暮らしに目を向ける活動をしてきました。
AMIGO KITCHENの活動のはじまりは、CINEMA AMIGOでのランチ営業。
イベント出店や逗子海岸映画祭での予約レストランを経て
そこからありがたいことにケータリング依頼が来るようになり
霞ヶ関の国際会議やスペイン大使館などから、昨年の東京オリンピックでの選手の食事など、身に余る大きなお仕事をさせていただきました。
食の提供をすることで、文化について、季節や素材について、生産者について、調味料やその生産工程などにも目を向けてもらう意図があり
体への影響だけでなく、食材の選び方とそこにつながる環境や政治、哲学的な考察までを自分なりに組み込もうとしてきたと思います。
でもね。
料理を提供するだけでは、伝えきれないことがありすぎる。
それで、平行して季節のワークショップがはじまりました。
その後、ご縁あって運営した秋谷のc:hord hayama antiques&bookcaféでも
café営業だけでは伝えきれないたくさんのことを暮らしのヒントに織り交ぜようとはじめた料理教室やイベント。
(企画直後のコロナとオリンピックが重なって最初の1年で少し間が開きましたが、今年はまた再開する予定)
暮らしに必要な情報は食だけじゃない。
売るための料理だけをしていたら実現しない。
食の切り口でのみ広げるには限界がありすぎるたくさんの情報を
ほんとうは全部繋がっているんだと腑に落ちるように提示できないだろうか。考える、気づくきっかけを作れないだろうか。
実はそんなことを考えながら、次の動きを模索したこの数年でした。
始動のきっかけは、映画『主婦の学校』
「CINEMA AMIGOでこんな映画の上映決まったんすけど、なにかやりませんか?なんかあゆみちゃん興味ありそうな内容だったんで。」
昨年、AMIGO HOUSEの代表アキラからこんな連絡がはいり、まずは予告編を確認。
アイスランドに戦前から続く主婦の学校は、現在は男女共学の今を生きる知恵を学ぶ場として存続しているそう。
もとは俗にいう花嫁学校だった場所が、時代の変化とともに性別、職歴、年齢も超えて、新しい学びの場となっている、そして実は科目は当時と大きくは変わっていないというのも興味深いところ。
実はCINEMA AMIGOが始まる前から、AMIGO KITCHENを始動する前から
暮らしを楽にする学校の草案はありました。
そのきっかけは、私自身の都内から葉山町への移住で
目から鱗がおちるってこういうことか…と思う、暮らしの中での気づきや価値観の転換みたいなことが移住して間もない私にとっては衝撃だったこと。
庭に咲くどくだみから虫刺されに効くチンキを作れると知り
群生するスギナが持つ薬効の多さを知り
まだ寒い春さきの庭にむっくりと顔を出している蕗のとうや茗荷をみつけ
秋には柿を、初夏には梅を収穫する忙しさと、そこからできあがるご褒美の美味しさに感動する。
長く都会の暮らしをしすぎて多分忘れていただけのことなのに
生まれて初めて気づいたみたいな衝撃。
(私は北海道生まれで愛知県の田舎育ち。実家の庭には果樹が植えられ、季節は日常にあったはず)
衝撃はなにも季節の食べ物だけではなく
時とお金に対する観念の変わりようもすごかった。
1日3本のバスしか通らない土地に住んでみて
(吉幾三が脳内に流れたあなたは同年代)
都内で、2〜3分おきに来るバスや地下鉄を乗り過ごしたあの悔しさは何だったんだろうと思ったし
実際満足度の高い暮らしをしているにもかかわらず、お金があまり減らなかったのも驚きだった。
(野菜やお惣菜含めて、もらいものや交換が多いし、田舎でありながら美味しい自家焙煎コーヒーや天然酵母パン、イタリア直輸入の美味しいチーズやハムが近場で手に入るのもこの地域のもう一つの特徴)
さらに言えば
お金(だけ)があっても食べられないという貴重な経験もした。
終電終バスで帰宅すると開いているお店がなくて(一番近いコンビニでも歩いて30分弱)知識としては知っていたつもりでも、お金って何かと交換してくれる人がいないと本当に意味がないものなんだな、と実感。
…この衝撃わかりますか?!
この角度から見た世界を知っていたら、あのころの私はもっと楽だったかもしれないな。
選択肢がたくさん見えたかもしれないな。
もっと違う挑戦をできていたかもしれないな。
当時の自分には、出口の見えない迷路にいるみたいに思えた時代があったから、今そこにいるかもしれない人に伝えてあげられたらいいな。
そんなことから”生きる知恵が学べる学校”をいつかはじめたい!とその頃の私はことあるごとに出会う人々に話していたようで
昨年末、お世話になっている治療院 天空洞のトニーさんに、『そういうことずっと言ってたよねぇ』と言われ改めて思い出したのが、この映画の話がくる少し前。
そんなわけで、この映画を見てすぐに想いが蘇り、せっかくならば上映に合わせた一回限りのイベントとかじゃなく、どうせやるなら話を聞きたい(人にも聞かせたい)方々がたくさんいる!学校やろう!と相なった次第。
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【暮らしの学校】ってどんな学校?
で、前置き長くなりましたが
【暮らしの学校】とは、答えを教わる学校ではなく
”その時々で自分の立ち位置から”答えを導くための選択肢をふやすことを目標に、多方面から情報を得る学校です。
(オンライン&オフライン同時進行予定)
”その時々で自分の立ち位置から”がキモです。
なぜなら答え(正解?)は人の数だけあって、人の数だけにあらず。
今日の正解は明日には変更したほうがいい場合もあるし
誰かの正解が別の誰かを苦しめることもある。
昨日の正解が今日の自分を苦しめることだって。
誰かが出した正解に縛られると苦しい
この仕事をしてきて、たくさんの生産者の方々とお会いして、見聞もひろがったけれど、ここへきて思うこと。
ねばならないこと、かくあるべきなことが自分を苦しめ他人を苦しめるときがある。
オーガニック、自然栽培、無農薬、有機栽培
ヴィーガン、マクロビ、ベジタリアン
宗教、政治、思想、常識
私にとって、どれも突き詰めすぎると世界が狭まって苦しかった。
自分と違うことを排除しなければ成り立たない世界は気持ち良くない。
選択できる時は安心していいけれど、選択肢がない状況だとどうしていいかわからなくなる。身動きが取れなくなる。
そして、たくさんの若いお母さんたちにもあって話を聞いたけれど、真面目なお母さんほど大変そう。
私は、3.11以降、いちど食の仕事をやめようかと迷いました。
放射性物質の影響を考えたら、人に食事を提供するのが恐ろしくなった。
完全に安全!と言えるものなんてないことがわかればわかるほど
人に提供する料理は作れそうにないなと思ったのです。
食品添加物について勉強したあとも
表示を見たらなにも買えなくなり、店を1周して手ぶらで出てくるなんてこともしばしば。
幸いこの地域には信頼できる自然食品店、陰陽洞があったからよかったものの、陰陽洞が休みだったり開店時間にまにあわなければもう絶望。
食べられるものが何もないと感じました。
のちに自然栽培のレストラン立上げで半年滞在した函館に、陰陽洞がどれだけ欲しい!と思ったことか。(どこでもドアが欲しかった!)
その時にも、陰陽洞がなくなってしまったらもう自力で商品が選べないのか?…という恐怖に似た窮屈を感じ、それって依存なんだと気づきました。
情報不足の時に頼れる場所や人がいてくれたら本当にたすかります。
けれど、頼りすぎる(答えをひとつに絞る)と他で生きられなくなってしまうということ。自分の物差しが必要です。
昨年、AMIGOHOUSEのイベントで、陰陽洞の聖さんとタエさんにお話を聞く機会がありましたが、買い物に来たお客さんと情報共有するという場が最近はとても減ったと言います。(みんなあんまり話をしないんだって)
ほんとうはお店で会話することで、陰陽洞のもの選びの基準を知り、生産者や仲介業者の情報を知り、考え方の幅を身につけていく場所になればいいのに。と。
食以外の知識・知恵もバランスよく取り入れ、考え方の幅を広げ、たくさんの選択肢を自分の中に取り入れる。
誰かに言われた正解ではなく、自分の意思で選び、必要なときは修正する力を身につける。
教わるのではなく、吸収する。
そして自分にあった答えを導きだす。違和感を感じたら修正する。
ということで、毎月1回
これまでやってきた食を通した文化や知恵のワークショップのほか
それぞれのエキスパートをお呼びして話を聞く時間を設け
健康(未病、病との付き合い方も含め)
家事(を楽しむことで趣味にする。例えば編み物や繕い物、家具の手入れ)
お金(使う、作る、ためる)
仕事(働き方、何のために働くか、など)
経済(例えばフェアトレードから紐解き自分の行動がめぐりめぐるとどう返ってくるのか?とか)
環境(身近な環境問題とはなにか・エネルギーについて)
そして、暮らしに直結する仕組みとしての政治とはなにか、など
幅広く学べたらいいな、と思っています。
世界には、暮らしと繋がっていないことは実は何ひとつないんですよ。
でも分割しちゃうと見えにくいから、あぁ、ここに繋がっていたのか!と知ることができたらいいのではないかと。
それを知るだけでも、世界が変わって見えます。
自分の選択のその先に、日々の暮らしがあるということ
この話は何度もいろんなところでしているのですが
前述の3.11の時に私を救ってくれたのは、ある大学医学部の研究論文でした。(どこからそこに辿り着いたのかまったく思い出せない)
うろ覚えだけど確か1970年代テキサス大学(だったと思う)…
たしか、心筋梗塞と食事の関係を調べる研究で、5つのグループに分かれて同じ実験(A.ジャンクフードB.自然食をラットに与える)をすることで、疾患リスクを数値化するというもので
『簡単に想定できる事だけどその真意を実験でデータ化しようね』
というところ。
結果は想像を外さず、ジャンクフードばっかり食べてると心臓疾患へのリスク爆上がり。です。
ただし
5つのグループのうち1グループの結果だけが他とちがっていた。
リスク=ジャンクフード>自然食の図式は変わらないけれど、その差分が明らかに少なかった。
今度はデータの精度を上げるために、そのグループと他のグループに違いはあったのか、あったのなら何がどう違ったのかを徹底的に調べた。
すると、唯一違ったコトとは、動物好きの生徒がひとりいてA.Bどちらのラットともに可愛がり、餌を与える前に遊んでいたらしいということ。
その後同じ条件で行った再実験で同様の結果がでたことで
これが同じ環境下で疾患リスクは高いながらも、その中でリスクを下げた理由だったと結論づける。
『スキンシップ(愛情)は疾病リスクを最小限に抑える可能性がある。』
この論文結果を読んだ時に(あ、文言は私の記憶に頼っているので正確ではありません。大きく意訳意解含みます。)、私のモヤはさーっと晴れ渡り
どんなに調べても100%の正解があるはずがないことにこだわって前に進めないのはなんか違うな、と切り替えられたのでした。
考えすぎて今を憂いていては、たとえ素晴らしい食材を手にしても美味しくできないし、健全じゃないな、と。
ただ与えられた課題を同じ条件で行った実験結果でさえ
意図せず加えたスキンシップという無関係かと思うような選択で、新たな世界が見えることがある。
で、学校の話に戻りますが
食卓から広がって、
この食材は誰がどこでどのようにして育ててくれて、
今年は雨が少なかったから時期が遅れたらしい、とか
台風被害で収穫が少ないから価格が高いらしい、とか
法律の改正(改悪)で今後作れなくなるかもしれないらしい、とか
これまで伝えてきたようなことも変わらず大事だけれど、
本当の意味で応援(他者目線)になれるのは、やはり自分が満足できる暮らしをしていないと難しい。(特に精神的に)
笑って暮らせていないのに、誰かのために、をやってしまうと
どこかに歪みがでてきてしまう。
結果生きるのが苦しくなってしまう。
だから、この映画のキャッチコピー”自分ごとの家しごと”
これはとても今回の学校にもフィットしたのです。
自分が苦しくならないように
でも
まわりも苦しくならないように
自分ごととして、そんな選択肢がたくさんあったらいいな。
最後に。
人生って笑っても1日、泣いても1日。
どうせ同じ1日が過ぎるんだったら笑ったほうが得なのよ。
これは、昔とてもお世話になった方から言われた、私を救ったことば。
今日も私たちは何かを選択する。
その選択の積み重ねが日々の暮らしを作ってる。
ならば、何かを選ぶ時に大事なのは、自分の心の声を聞けること。
選択の先に自分の笑顔はあるのか。
それを知るには、どう心が動くのか、その繊細な振動を感じ取れる余裕があること。
そして、その余裕は
実は自分にはたくさん選択肢があって、どれを選ぶこともできるんだって知ることで生まれるのかなぁ、と思うのです。
まずは1月21日のランチタイムあたりに、このへんの想いをAMIGO HOUSEのインスタライブにて。
そして、29日には、AMIGO HOUSEでのオープンキャンパス的なイベントにて詳細発表になるのかと。