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モデルになるまで、8年。

「…それで方向転換してモデルになろうと思ったんですよ。」

そう話したときに言われた言葉がある。
「それでモデルになれちゃうから凄い。」

確かに。言われてみればそうかもしれません。
そもそもモデル業がどういうものか、当時目指し始めたときには全くもってわかっていなかったのですが、知らないからこそ夢中になって頑張れたのかも。いい意味で、期待がありませんでした。ただ一度やった仕事が楽しかったからまたやってみたい、そんな気持ちの延長線上で始まったモデル人生。

しかし振り返ってみれば、モデルになった!と実感できたのはごく最近のことのように思います。簡単にはなれなかった。この世界に足を踏み入れて初めて、私は「モデル」という職業を名乗ることの難しさに直面することとなります。


◆胸を張って言えなかった新人時代

「モデルになる」

当時の私は漠然と、事務所に所属したらモデルになれると思っていました。

オーディションに合格し、その後何ヶ月にも及ぶレッスンを受けてようやく所属。デビューしてすぐにわかったことがあります。それは、事務所に入ったからといって自動的に仕事が舞い込んでくるわけではないという現実。何も知らなかった当時の私は、ひとまずモデル事務所に入れば何とかなる、してくれると思っていたのです。しかし、そんな甘い考えは通用しませんでした。

まずは事務所が振ってくれるオーディションへ。会場でどう振る舞えばいいのかもまだ手探り状態、同じ事務所の先輩と一緒になると「どのタイミングで挨拶しよう…」などとオーディション以外のことにも緊張し、新人時代は慌ただしく過ぎていきます。

それでもラッキーなことに、月に1、2本は仕事をさせてもらっていました。もちろん新人のギャラなので、そんな本数では到底生計を立てていくことはできません。しかし、それが当時の私にとっての平常運転でした。食べていけないのが当たり前。それでも自分で選んだ道だから頑張りたい。意欲的ではあったけれど、スローペースで始まった新人時代でした。

そんなとき、周りに「仕事は何をやっているの?」と聞かれると、「モデルです!」と胸を張って言うことはできませんでした。聞かれるたび、自分の仕事状況を思っていたたまれない気持ちに。。肩書きはモデル、だけど実際にはほとんどアルバイトで生計を立ててるし…。

「モデル1本で食べていけるのは、モデルの中でもほんの一握りの人だよ」

始めた頃に周りから言われた、モデル業への諦めのような言葉。ずっと私の中に引っかかっていた言葉でもありました。本当にそうなのか?食べていけないのは当たり前なのか?そんなに難しいことなら、達成できたときには胸を張ってモデルと言えるようになるかもしれない。

ちょうどそんなことを考えていた時期に、アルバイト先にも「オーディションでちょこちょこ抜けられるのは困る…」と言われたこともあり、思い切ってアルバイトを辞め、モデル1本の生活にしました。

時間を全てモデル業につぎ込むようになったことが功を奏したのか、はたまた気持ちの問題だったのか、自分でもその早さに驚くほどに仕事が増え、徐々に生活できるようになっていきました。

目標達成!それがどこまで続くかなんて考えもせず、当時はただただ嬉しかったのを覚えています。

◆周囲が思うモデル像

喜んだのも束の間、新たな質問がやってきます。

「何の雑誌のモデルをやっているの?」

世間の認知では、モデルは「雑誌のモデルさん」でした。

モデル業を経験するとわかりますが、モデルには本当に様々な仕事があります。雑誌だけではなく、CMやショーのお仕事、カタログ、ECサイト、ウェディングやコスメ、ジュエリーの広告…いわゆる「一般人」に見える広告だって、実はプロのモデルが演じていることが多いです。雑誌やパリコレが表立っていますが、モデル業界にはそれ以外で活躍しているモデルたちがたくさんいます。

しかし、そんなことはこの仕事に就いてみなければわからないこと。私だってこの業界に入りたての頃は、全くと言っていいほど知りませんでした。仕事をしていくうちに、ファッション業界で知らない者はいない、尊敬できる先輩方がいることを知り、また実際にお会いすることでその凄さを実感し…やればやるほど、素敵な人と出会う日々を過ごしています。

さて話は戻りますが、ようやく生計を立てられるようになった私は、少しずつですが雑誌のお仕事をいただく機会も増えていました。が、特にレギュラーがあるわけでもなく、〇〇の雑誌に出ています!と堂々と言えるほど数をこなしているわけでもなく。数ヶ月に一度、企画物の1ページに出させてもらえる程度。聞かれるたびに「たまに〇〇とか〇〇に出ています」と一度だけ出た雑誌名を挙げることに引け目を感じていました。

雑誌の代わりに何か言える仕事はないか…そう探したときに出てきたのは東京コレクションのショー出演歴。しかし、こちらは似た名前の東京ガールズコレクションの方が認知されているため、混同されがち。二つの違いを説明しても、みんなの反応は薄い。。そもそもショーとはパリコレ一択だと思われていることが多い。。この時点では、モデルと言ってもまだまだそれを目指している「卵」だと思われていたかもしれません。

◆転機はNY

モデル1本で生計を立てても、ショーの仕事をしていても、胸を張ってモデルと言えない…そんな私に転機が訪れたのは、NYへの渡航でした。

NYで初めて得た大きな仕事が、日本のブランド「shu uemura」の日本人初のイメージ広告(写真はこちらの記事に載せています「カメレオンなモデルを目指すまで〜顔立ちの悩み〜」)。これを皮切りにビューティーのお仕事が増え、その後ファッション(洋服)のお仕事が増え、百貨店の広告撮影にも呼ばれるようになりました。

その広告は私の横顔を撮ったもので、パッと見は誰なのかわかりません(商品を際立たせることがモデル業なので、この印象はバッチリです)。それもあって、何の前情報もなく私だと気づいた人は少なかったと思います。けれど私にとっては初めてのワールドキャンペーン。とても嬉しい経験でした。

それが日本の百貨店の広告に出たとき、周りからはかなり大きな反響がありました。やはりみんなが目にするようなお仕事は、分かりやすく「モデル」として認識される。

また以前から洋服のカタログやECサイトには出ていましたが、いわゆる名前を良く聞くECサイトやブランドに出ると「最近がんばってるね!」と連絡が来ることも増えました。嬉しいのと同時に、みんなが知っているものをやらないと「モデル」として認知されないんだなという寂しさを感じたことも事実です。

◆言えたその先

そして2020年。コロナ禍に入ると、いよいよ雑誌のレギュラーとも言える毎月の巻頭ページの仕事が回ってきました。モデルを始めて約8年、初めて「何の雑誌のモデルをやっているの?」という質問に臆することなく答えられるようになりました。

しかし、それに何の意味があったのか?今ではそんな風に思っていることも確かです。

モデルの仕事は商品ありき。だから女優さんやタレントさんのように自分が主役となって出ていくことは、ほとんどの場合ありません。モデル始めたての頃は、その事実がショックでした。モデルといえば舞台上でキラキラと輝いているイメージしかなかった上に、やっぱり私も人から認められたい、目立ちたいという気持ちを持っていたからです。もちろん今でも、その気持ちはあります。人から「すごい」とか「かっこいい」とか言われたいです笑

けれど新人の頃と違うのは、ここまでやってくる間に、何人もの尊敬できるモデルの先輩方に出会い、プロフェッショナルなチームとご一緒し、世間が知らないような仕事で自分が成長させてもらったという事実、モデルとして仕事を続けていく難しさを身を以て実感したことなど…本当に多くの経験を積み重ねてきたということ。書き出したらキリがありませんが、そういった業界に入らなければ得られなかった発見が、明らかに私を育ててくれました。

だからこそ、今はどんな仕事をしていても、周りにどんな見方をされていようと、胸を張って「モデルをしています」と言うことができています。仕事内容もそうですが、何よりも、どんな仕事であってもプロとして最大限取り組む自分の姿勢に誇りを持てるようになったからかもしれません。あの頃の私に自慢したいね。

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鈴木亜美
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