気づきを拾う
先日、友人たちとの雑談の中に、「切り替えが早い」というワードが友人たちの心の琴線に触れたようで、その言葉を言った本人の私も、少し引っかかっていて、
「気持ちを切り替える」ことについて、少し考えてみました。
会話の中味は、コロナ禍で学生さんたちも大変だ・・・という話題からでした。
うちにも大学生の息子がいて、入学当初からもろにコロナの影響を受けていました。
コロナのせいで、人との関わりが減って、学校を休学したり退学せざるえなかった学生も少なくはない・・・という認識は私にもあります。
上手く切り替えて、そんな環境の中でも、それなりに楽しんでいる人と、そんなに簡単にはいかなかった人との間には、どんな差があったのか?
全ては置かれた環境のせいなのか?
気持ちの持ちようひとつなのか?
ひとりひとり精神状態も環境も違うので、個別案件であることは確かです。
ただ、その会話の最中に浮かんだのは、
「もし、切り替えることがそう簡単にはいかないのであれば、少しでも好転するためのサポートが身近にあったかどうかは、大きな分かれ目かもしれない。」
という考えでした。
人は誰しも、物事が思うように運ばない時、何らかの原因を探し、できれば外因をみつけようとしがち。
自分を守るために働く防衛反応かもしれません。
しんどい時には致し方ないことでしょう。
しかし、やはり、ちゃんと公平に全てを見つめ直すことは、変化していく上で大切な作業だと思います。
「自分の望み・どうなりたいか」
「そのために必要な今の課題」
「邪魔になる思い込みや癖」
「助けになってくれるよいところ」
ただ反省するだけでは、罪悪感を抱えるか、怒りを感じるだけになりかねませんが、正しく見つめ直すことは、より良い自分に変化するために必要なことだと思います。
まずは、ちゃんと「変わりたい」と思えるかどうか。
そして、できるなら、自分一人で立ち向かうのではなく、誰か信頼できる人のサポートがあった方がいいと思います。
人は、他人と話すことで、自分がよりはっきりと見えてくるからです。
そうやって、勇気を出して誰かに相談し、話を聞いてもらっている最中に、
何かしら、「あ~そうだよね~」
と思えるような、『気づき』を拾うことができたら、それだけでだいぶ前進。
そう。
『気づきを拾う』のです。
以前、私が尊敬しているスピリチャル・ティーチャーが話してくれたのですが、
「気づきは貰うものではなく、自分で拾うものだ」と。
私たちはよく、「気づかせて貰った」とか、「気づきを貰った」という言葉を使いますが、
実はそれでは本当に気づいたことになってないのかも知れないのです。
ちゃんと自分で気づいて拾い上げること。
もし、誰かとの会話の中で、「あっ、そうだ!」と思えるような気づきがあったなら、
ちゃんと拾い上げて、自分の中に取り込んで、そしてちゃんと行動に移す。
知ったなら、やる・・・が大事です。
失敗してもそこから学びがあるけれど、
せっかく気づいたのに、何も行動を起こさなければ、知ったことにはならない。
気づいたことにはならない。
だから、気づきを拾うのです。そこから何かが変化し、「気分の切り替え」につながっていく。
ちゃんと自分でやるんです。
貰うだけではだめなんです。
そして、若い人にも、大人にも、子どもにも、そんな気づきを拾うお手伝いをしてくれる人が、周囲にたくさんいたら、この世はもっともっと光輝くに違いない。
そんなことを気づかせてくれた先日のおしゃべり。
これが、誰かの「気分の切り替え」に繋がれば、嬉しいこと。
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