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「望まない妊娠」からみる、人間の本質。

ある朝、NHKのニュースで見た「話題になっているニュースWEBチェック」というコーナーで、気になる記事を見た。

・風俗での予期せぬ妊娠

・同居男性との望まぬ妊娠

今問題になっている、赤ちゃん遺棄の真相とは。また、そこで見た、追い詰められる人の行動から考える人間性を描いた。


人というのは、一括りに言うと「追い詰められると、考えてもいない行動にでる」のだ。


風俗の店員との間に予期せぬ妊娠をしてしまった女性。頼れる人もなく、親に居場所を知られたくなかった。子供の頃、親からDVを受けて育ってきたと言う。家を何度飛び出しても、親の捜索願ですぐに連れ戻された。そのような経験から、どのような施設に助けを求めても、信用できないと思い、結局最後は産んだ子を手に掛けてしまったという。


この事件のポイントは、風俗の店員との関係、親からのDV。頼る人や、相談できる人がいないことも、問題だ。


いわゆる「相談できる人」がいない、と言うのは、一番こころに深い闇をつくってしまう。この女性が、どのようにして風俗で仕事をするようになり、店員との間にどのようなことがあったのか、誰かに話す必要があっただろう。今では、相談できる機関がたくさんあったとしても、そのような場所に相談することで、この女性はまたDVを受けていた親元へ返されてしまうことを恐れていたことに、身につまされる思いがする。

親からのDVを受けて育った子供は悲しいことに、人の痛みや弱者へのいたわりをわからずに育ってしまう傾向にある。「赤ちゃん=命ある人間」であることをあまりにも軽視しているためである。もしくは、四面楚歌(助けがない)となれば、命さえも目に入らなくなってしまうというのだろうか。


誰にも話すことができずにいたこの女性は、執行猶予の判決が出たという。


二つ目の「同居男性との望まぬ妊娠」。

これは、女性側だけの問題ではなく、男性の「父親としての自覚」を必要とする問題である。

私が考えるのは、やはり子供というのはふたりでつくるもの。話し合いや、妊娠を望まなければ避妊を考えるのは、男性も女性も同じことなのだ。

しかし、雑に扱う男性とは付き合わない方がいいということは誰もが思うことである。性交のときは、きちんと避妊具をつけるのはマナーであり、相手を大切にする行為である。それができないのなら、付き合わない方がいいと思うくらいだ。


女性というのは、尊い命を宿すことのできる母体になるべく体を持ち合わせている。例えば、DVという行為に及ぶ同居男性がいたとしたら、明らかにその男性は女性蔑視であることは確かだ。しかし女性にも逃れることのできない理由があると聞く。


これは私の経験だが、同居男性がDVだったことがある。離れられなかった事情はここではいずれ話す機会もあるかもしれないが、とにかく気の短い男だった。しかし、私も躁状態だったため、負けてはいなかった。もちろん体力的には劣っていたが。警察沙汰になったこともあった。警察は、こういった揉め事に深刻に立ち入らない。なぜなら、結局別れることなく、また街のどこかで、二人で歩いているところを見ることが多いからだと言っていた。


 ここでは何が言いたかったのかと言えば、追い詰められて、命を粗末にする人間、そして人を蔑視する人間、それに従う人間、いずれも、環境により人格を形成され生きてきた人間の姿であり、もしかしたら誰でも、具有しているのかもしれない。




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