市の子育て相談を利用してみた話。
少し前に、市の子育て相談を利用しました。
ある日の夜、またも、子ども相手に爆発してしまって。
売り言葉に買い言葉で、言ってはいけない言葉を、言ったと思う。
私も辛いし、子どもも辛いのがすごく伝わってきて。
子どもを幸せにしたいのに、なんでこんなにうまくいかないんだろうって。
このままでは、誰も幸せになれない・・・そう思って、次の日の午前中に、市の子育て相談に電話をしました。
そして、もともと入っていた他の予定をキャンセルして、相談に行きました。
結果としては・・・
話を聞いてくださった方は、誰かに聞いてほしかった思いは、吐き出せた。
涙も出た。
でも・・・それだけだった。
解決策は、見えなかった。
前向きな気持ちには、なりきれなかった。
すっきり度・・・10%くらい???
その理由について、考えてみた。
相談に乗ってほしいと思っていた肩書きの方ではなかったということが、心に引っかかっているのかもしれない。
私の頭の中では、いろんな考えがぐるぐるぐるぐる展開していて、「こんなに子どもにきつく当たってしまうのは、自分の生育環境・親子関係が原因なのか?」「子どもがこんな環境で育ったら、心がねじまがった大人になってしまうのでは?」「むしろ自分が病気なのか?」・・・等々。
極端なところまで行っていたんですね。
「臨床心理士」とかなら、自分の心の奥深く、子どもの心の動き・・・を研究結果や根拠を示しながら「今のあなたは、この状態です。」「お子さんは、大丈夫です」「それは、虐待です」「そのくらいは、どのお子さんもあります」などと、明快な回答をもらえるのではないかと思っていた。
いいことでも悪いことでもいいから、この状態について、はっきりとした意見が欲しかった。
でも、あくまで今回の相談に乗ってくれたのは「相談員」さんで、話はよく聞いてくれたし、「それは大変でしたね」と言ってくれたけど、私の疑問に対しての明確な回答はなかった。
「相談に来てくれてよかったです」と言ってくれたことには、ほっとした。
「講演会や本で、子育てについていいことを言っている人はたくさんいるけれど、『あなたは、本当に苦しんで子育てしたんですか!?』って言いたくなりますよね」って言ってくれた。
多分、とても良い方だし、気持ちに寄り添ってくれようとしていることは、伝わってきた。
でも・・・なんだろう。
心の奥深くを話したのに対して、うわべの回答をもらった感が否めなかった。
子育て相談って、そういうものなのかな。
「誰でも同じ悩みを持っていますから、大丈夫ですよ」的な対応は、時に安心できるけど、時に、とても苦しめる。
思い切って吐き出した、自分のなかのどす黒いものたちを、受け止めてもらえた感覚が、あまりない。
「誰もが苦しんでいるかもしれないけど、私は、ここから抜け出したいんだ。そのための方法が知りたいんだ」と言えばよかったのかもしれない。
でも・・・・子育てに答えは、ないということなのかな。
結局は、自分でなんとかするしかないと言うことなのかな。
・・・と、思ってしまった。
うん。これは、「消化不良」というやつかもしれない。
思い切って吐き出したものに対してのリターンが、期待したほどのものでは、なかった・・・そんな感じ。
だから、結局家では同じ事の繰り返しで、昨日のつぶやきになってしまったんですよね、はぁ・・・。またやってしまったと、自分を責める。
それでも、次回も予約してあります。
2回目、話したら、何か変わるかもしれない。
どこでもいいから、想いを話せる場所を、確保しておくことが、大切なのかもしれない。
そんな気持ちを持って。
2回目行ってみても、「なんか違うな」と思ったら、違う場所を探そうと、思います。