完璧な「彼」に関する100%個人的な意見。
「私にぴったりの完璧な人に出逢えたら、それで人生安泰。」
というのは幻想でございます(勝手な持論)。
恋愛映画を見ていると、大概、最後はキスシーンで終わる。「貴方が私の完璧な人だったのね~」と。でも、本当だろうか。完璧な人を地球上から一人見つけたら、それで自分の幸せは保証されるのだろうか。最初から好ましい相手の必須項目すべてにチェックが入っていないと、良い関係は築けないのだろうか。
なんというか、テトリスみたいに最初から規定の型があって、それがピタッとハマるっていうフィット感を関係性(又は結婚生活)の初期から求めるのは無理があると思う。だって、最初にフィットしてても人間というのは変わるものだから。学んで賢くなるし、人生山あり谷ありだし、コアの考え方だって変わっていくかもしれない。生活が楽なときはいいけど、辛くなったら隠していた本性も現れるかもしれない。
重要なのは、最初から素晴らしい型をもった人ではなく、自分との関係性を改善していくために粘土のように柔軟に変形できる余白が広い人、だと思う。自分にとっての不変の信念とか価値観は最初から持っていて当然だけど、双方にそれを理解した上で、お互いに末永く仲良くやっていくために変わっていける余白(マージン)があるかどうか。それこそが、一番重要なのではないかと結婚13年目にして気付いた。
お互いの根本的な価値観は付き合っているときに確認しましょう。でも二人の関係が完璧かどうかは最初にわかるものじゃない。10年くらい付き合って(結婚して)から、徐々に自分が相手にとっての『完璧』に近づいていくもの。だから、私は、10周年記念に結婚式を挙げるのが理にかなっていると常々思っている。10年いろいろあったけど、二人の関係性が改善しましたね、成熟しましたね、よく頑張りましたって感じで。ご祝儀も「がんばったで賞」で、この時にもらう(笑)。
だめかなあ?
「The One(最高の人)」は、見つけるものではなく、自分の努力に感銘を受けた相手がそのような最終形に成長していくものである(持論中の持論)。他の人にとっての完璧でなくたっていい。二人の間で完璧であれば、それでいいのだ。人間の関係性は生き物で、毎日の水やりが大事。彼氏、彼女、妻、パートナー、配偶者、どんな枠組みやタイトルが付こうが努力を忘れたときに足元をすくわれる。感謝を忘れずにいよう。(と、自分に言い聞かせる。)
追記:かくゆう私も恋愛映画はよく見る。女子のDNAに組み込まれている何かなのだから、これは抗いようがない(笑)。